2011/04/25

魔法少女まどかマギカ 総括(ネタバレ含む)

放送延期で期待が高まるだけ高まって迎えた11話と最終話の12話

しかしその期待に応えるだけの、予想の少し上を行く結末を見事に到達したことに賞賛を贈りたい。
とにかく面白かった、素直に傑作だなあ、と思える作品でした。

振り返ってみると4話の時点で感想に

>まどかは何を望み、何を願うために魔法少女になることを選択するのか?
>願いの内容によっては、より大きな悲劇を生む可能性も帯びてきて、ゾクゾクする。

>正直このまま最終話付近まで、まどかが変身しないなんて展開もありそうな気がしてきて怖い。
という感じに書いていたけれど、見ているこちら側のある程度の予想を、折り込んだ上でその予想に沿いながらもその予想の少し上を行く展開に持って行かれたのには、うならされた。
そして同じく4話の時点で

>「魔法少女」という定番ネタを逆手にとった、まさに邪道の魔法少女アニメと言ったところか。
と書いたけれど
この「邪道の魔法少女アニメ」というのは、最終話を観終えた時点でその認識は180度変わった。

まどかの願い、魔女となった過去から未来のすべての魔法少女を絶望から救う、という途方もない願いを叶え、宇宙の理そのものを書き換えて、まどかが願いと希望を抱くすべての魔法少女たちの守り手となるという結末に、心底震えるとともに、
「だって魔法少女はさ、夢と希望をかなえるんだから」
という魔法少女というジャンルのテーゼを守りきった事に、感動した。
邪道と思えた「まどかマギカ」という作品は、魔法少女ものの構造に手を突っ込みながら、最期には魔法少女ものの王道へと着地を果たしたのだ。

ほむらが希望を持ち続けて戦い。何度も時間を繰り返すなかで、、まどかに因果が集中し、逆にまどかを、最悪の魔女にしてしまうという、絶望的な状況が生まれ、ほむらの心が折れかけた時、そのほむらの願いが、希望が、戦いが決して無駄ではなく、より強い大きな力と願いを持つ「まどか」という存在を生むことにつながっていた、というストーリーの流れ自体が、希望を持ち続けて戦う者への祝福であり、ここにテーマ性とドラマ性がしっかりと咬み合って成立している点も、見事という他ない。


夢や希望を肯定するというのは、テーマとして実は難しい。
それが高年齢向けの作品でならなおさらだ。
なぜなら、それが、大人になればなるほど実現することが難しいことを知っているし、まどかマギカの作品内で描かれたように呪いと絶望を生むことも知っているからだ。
だから大人になるにつれて、子供向けのアニメに描かれている夢や希望の嘘っぽさ、現実との乖離に気づいて、子供はそういったアニメを卒業していってしまう。
だから普通の大人は、いい年して子供向け作品を見ないし、ましてや魔法少女アニメなんて絶対に見ない。
けれどどんなに大人になっても心の隅でそれを信じているし、信じたいと思っている。
正直なところ、自分が子供向け作品や、少女向けのアニメを好んで見るときは、その夢や希望を無邪気に肯定する純粋無垢な嘘を、嘘とわかった上で信じて身を委ねたいからでもある。

しかし、まどかマギカという作品は、その子供向け作品では決して正面からは描かれない夢や希望の暗黒面の真実をこれでもかと追い込んで描いた上で、それでも希望を持つことを肯定する。
それは、夢や希望を信じることが難しくなった大人が、それを信じてもいいんだと思わせるに足る物語であり、まさしく「魔法少女まどかマギカ」は真に大人のための「魔法少女」として成就しえたということなのではないだろうか。

そういう意味で、まどかマギカは魔法少女モノとして、自分にとって気持ちのいい、心地の良い作品だった、ということは間違いない。

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