といいつつ、それにかこつけた細田守語りですです
以前からわかっていたことだけど、今回本当に確信したのは、細田監督は少年キャラ、というかショタキャラを描くときが一番イキイキしている。
サマーウォーズの時もそうだし、おおかみこどもの時もそうだったけど、今回はメインがショタとオヤジの関係だからな!
だがしかしその楽しいオヤジとショタのパートは前半で終了してしまうのでちょっと残念ではある。
結果、ガキみたいなかわいいオヤジが7割くらい占める映画になっちゃったけど、まあそれはそれで需要はありそうだからいいんじゃないですかね!
細田監督がいよいよ自分というか本性だしてきたんじゃないかな、これは、という感じで、見てて楽しくなったというかうれしくなった。
そして今回見ていて確信を得た、というか、もしかして今までカン違いしてたのかもしれないと思ったことがもうひとつ。
それは細田監督って女の子を魅力的に描く気がないんじゃないのか、ということ。
バケモノの子でも、一応ヒロインポジションの女の子が途中から登場するのだけれど、この子にまったく魅力を感じない。
なんというか添え物感が半端ない。
実のところいなくても映画自体は成立するなとすら思える。
サマーウォーズ、時をかける少女など細田作品での女性キャラは意外と評判がよくなかったりする。
魅力がないというより嫌われる、ちょっと癇に障るところのある女性キャラが出てくる。
自分も正直好きになれないところがあって、それは単に細田監督の女性の好みが合わないだけかと思っていたが、実はそれはカン違いだったんじゃないかと考えるようになった。
そもそも細田監督は女の子を描くことに興味がないのではないのかと。
女の子のキャラを描くときに、女の子への理想や妄想や趣味を仮託すれば、自然に魅力的にうつるものだと思う。
それが多少趣味が悪かったとしても、ほらこの子のこういう欠点もかわいいでしょ?となれば魅力的に描かれるのが必然なのではないかと。
しかし最初から女の子を描くことに興味がない、女の子に自分の理想や妄想や趣味を仮託する気がないのだと、と仮定するならば、その描かれる女性はフラットな存在で、魅力がないのは当然といえる。
そんなばかな、と思われるかもしれないが、ここで二つ証拠を提示したい。
この映画後半のアクションシーンでヒロイン楓が二度転ぶ。
アクションシーンで、ヒロインを連れて逃げるというのはお約束だし、危機感切迫感の演出として転ぶシーンがはいるのもパターンではあると思う。
でも二回必要だろうか?
一度なら転んだヒロインを気遣う主人公のやさしさも強調されてプラスになるが、二度転ばれると、「うわ、この女、足手まとい」という印象を見る側は感じてしまう。
なのになぜ二度転ばせるのか?すなわち深層意識でこのヒロインを不要な存在、足手まとい、と思っているからではないのか。
もうひとつ、気づいて、あ、とおもってしまったのだが、たくさんのモブでケモノキャラが出てくるがその中で、ケモノ耳少女がほとんど印象に残らない。
だいたいはオヤジっぽいキャラがほとんど。
男くさい社会を描きたいからかもしれないが、こんだけケモノキャラを出しているにもかかわらずモブでの遊びや賑やかし程度にもケモ耳少女キャラが目立たないようになっているのは、無意識的にそうなったのか逆に作為的なものを感じてしまう。
ショタキャラに対する思い入れ情熱のつよさが、細田作品から隠しようがなくにじみ出ている、ならばその表裏として、女に対する興味関心がまったくなくてもおかしくはないのではないか、というのは自分の中では盲点だった。
自分が思う以上に細田監督はガチやったんや!
この映画に女はいらんかった。
むしろそのポジションは年下の男の子にすべきだった。
ちょうど九太と熊徹と対になるように、そしたらこの映画は完璧だったかもしれない!
今回あの女を出さなければいけなかったのは、「体裁としての恋愛要素」が映画を売るため、企画を通すために必要だったからなのかもしれないない
とはいえ、今回の映画で細田監督が自分の描きたいこと、やりたいことのかなりの部分を自由にさらけ出してきた印象がある。
未だに自分は細田守の最高傑作はウォーゲームだと思っているのだけれど、よく考えれば、あの作品も本編の女性キャラが作品の中心から意図的に排除されていたと、いまさら気づく。
細田作品に女はいらない。
ウォーゲームを超える純度100%の細田守まで後一歩。
そんな確信と期待を思わせる作品でした。
2015/07/14
2015/06/25
リリカルなのはVivid12話(第一期終了?)感想
え?ここで終わりってくらい半端なところで終わってしまったんだけど・・・
てっきり二クールやるもんだと思っていたので激しく消化不良
これは二期前提っておもっていいんだよね?ね?
正直なところVividはインターミドル編からが本番!と思っていたので中途半端なところで切られてしまって、物語の勢いがそがれてしまうのは、いかがなものかと思ってしまう。
尺とか大人の事情とかで致し方ない部分もあるかとはおもうのだけれど
せめてミウラVSヴィヴィオまではやってほしかった・・・・
リリカルなのはVividという作品は「リリカルなのは」の名を冠するシリーズ作品で、時系列や設定も前TVシリーズからそのまま継承した直径の作品ではあるけれど、実際には旧シリーズのキャラはあまり前面にでることはなく、ヴィヴィオを中心に新キャラがメインとなり、完全に世代交代を果たすことができた、というところで非常に意義のある作品であるとおもっています。
アインハルト登場の一話から合宿編までは、それでも旧キャラがある程度でてはくるものの、インターミドル編に入ってからは、番長やヴィクター、ミカヤ、シャンテ、ミウラとインターミドル選手が多数登場し、また当初はヴィヴィオの同級生くらいの薄い存在だったコロナ、リオが試合を通してどんどんキャラが成長していくのが、原作を読んでいてもわくわくした。
特にコロナvsアインハルトの一戦はシリーズ中一番といってもいいくらいの熱い戦いで、「リリカルなのは」というシリーズの魂は、キャラが変わってもきちんと継承されているなあ、と感じさせるくらいのベストバウトだったと思う。
アニメでもここはきっちりやってくれたので、よかったのだけれど、だからこそ、ここで終わっちゃうのはいくらなんでも・・・と思ってしまう、この後のミウラvsヴィヴィオ、リオvs番長からの流れが最高なのに!!
出会い編から合宿編までは尺をつかって結構丁寧にやっていてかなり好感をもって見ていたのだけれど、本番であるはずのインターミドル編に入ってから、尺を気にしてか、つめたりきったり入れ替えたりをけっこうやっていたのに、どうしてこうなったorz
原作では、なのはフェイトはやてが試合を観戦しているシーンがあるのだけれど、そこをカットしたのはむしろ英断だったと思うのだが、一方で、試合の外での日常パートも相当削られてしまって、わりと戦ってばかりになってしまったのは、ややマイナスかな・・・
うーん、というわけで原作有の尺の問題でいまいちすっきりしないのだけれど、方向性自体はまちがってないはず!
ということで二期に期待ですね
2015/04/28
アイドルマスターシンデレラガールズ(ファーストシーズン) 感想
自分の中で考えがなかなかまとまらず、やや時間が空いてしまいましたが、いまさらですがファーストシーズン13話までの感想です。
アニメになったアイドルマスターシンデレラガールズという作品に対する現時点での見かたを簡単にまとめると、
「予想外に物語性、ドラマ性の強い作品であったことに対する驚きと、そうであるがゆえに感じる違和感と戸惑い」
といったところだろうか。
しぶりんと卯月の出会いから始まる第一話は、これからドラマを見せるぞ!
という決意のようなものを感じさせるつくりで、まずそこに、そうくるかという意外性があった。
というのも、もともとソシャゲであるシンデレラガールズのキャラクターの面々というのはかなり個性的で言い方は悪いかもしれないがわかりやすい記号的な特徴が付与されているキャラが多い。
本家765プロの面々はそういう記号性は抑えられているのとは、方向性が違っていて、それ自体はゲームそのものの特性の差であり差別化でもあるので、どっちがいい悪いと言う話でもないとは思う。
ただ、アニメ化に際して先行した765プロのいわゆるアニマスがあまり記号的でないキャラであったがゆえにドラマ性、物語性の強い作品を作るのに向いていたのに対して、シンデレラガールズはあまりその方向性は向いていないのではないかと思っていた。
ドラマ性を追求するより、キャラものとしてキャラの個性、魅力を描くことに重点を置いたほうがいいし、向いている作品だろうと、個人的にもそういうものが見たいし、そうなるだろうと期待していた。第一話の放送が始まるまでは。
しかし、その予想を見事にはずれ、6、7話にいたっては、そこまでやるか、というほどに重いというか濃厚なドラマを見せ付けられて、すごいと思いつつもかなり戸惑った。
しかし、その後の個別のユニット結成を描く各話では、ドラマ性は残しつつも、キャラの魅力、個性を描くほうに、力点が置かれていてこの個別ユニット回は、これこれこういうのが見たかったんだよ、というつくりだった。
アニメアイドルマスターシンデレラガールズは原作ソシャゲの個性的記号的なキャラで765アニマスと同じ方向性の物語、ドラマをつくろうとしていると思うのだけれど、この素材で、この料理の仕方はチャレンジ過ぎないか?と思ってしまう。
しかしその一方で、このアニメ化で最も自分が意外性を感じつつもその魅力と株が挙がったキャラがみくにゃんこと前川みくなんだろうと考えるとまた複雑ではある。
みくにゃんは猫耳つけて語尾に「にゃ」をつけるベタベタな特徴づけをされている、ある種アイドルものとしてみた場合、それこそギャグとしてステレオタイプのモブ扱いされてもおかしくないポジションにいる。
そのみくにゃんがアニメ化される中で、アイドルになりたいという欲望に忠実で、泣いたり怒ったり普通の女の子が持つ情緒を表にさらけだし、はしばしに生活臭を漂わせ、その記号的な外面に反して、もっとも血肉の通った人間として描かれている。
みくにゃんにかぎらず他のアイドルたちもそういった側面は数多く見られる。
これは、ドラマ性のあるものを作ろうとするがゆえに、登場人物をすべて等しく地に足のついた人間として描く必要性から生じたものであるのだけれど、そうであるがゆえに、記号的であったはずのキャラクターが記号的でない別の魅力を獲得するにいたったわけで、ドラマ性をおさえていたら、みくにゃんがこういうキャラに成長することはなかったかもしれない。
記号的なキャラを記号的なままで終わらせない、血肉の通った魅力を引き出したい、という意思が、シンデレラガールズという作品にはあるのかもしれない。
その為の濃厚なドラマ作りであるとしても、一方で本田未央というキャラクターは、その負の面を背負わされてしまったのではないかと思わずにはいられないのだ。
もうひとつ、違和感を感じていることがある。
それは、追い込んでいるキャラ、物語に対して、得られるカタルシスが半端に感じてしまっているということなのだけれど、それがなぜなのかは、今はまだ明確に言語化で来ていない。
6話の未央の追い込みに対する7話の解決編のカタルシスは7割、13話の節目のライブ回は8割ほどのカタルシスしか感じない。
キャラや物語を追い込んだり重い展開を見せられたら、その分100%のカタルシスで返して欲しいと思うのだけれど、そこにブレーキがかかっているというか、100%気持ちよくさせてもらえない何かがある。
正直これがなんなのか、なぜそうなのか、あるいはそう感じてしまうのかは、未だにわからない。
ひとつには、まだしぶりんや卯月。未央というキャラをまだぜんぜん描き込んでいない、道半ばの状態にあるがゆえなのかもしれない。あるいはまだ100%に持っていく気がなくて、出力をおさえているのか。
どちらにせよ、気持ちよくドラマのカタルシスを感じたいのに100%気持ちよくなれない、絶頂に至れないもどかしさを現時点では感じてしまっているのは確かだ
アイドルマスターシンデレラガールズという作品は、自分のもっている物差しで計ろうとすると、微妙になにかがずれる。
それは記号的であったはずのキャラにここまで血肉の通ったドラマをやらせようという、意欲的、挑戦的作品を過去にみたことがないからかもしれない。
そうであるがゆえに、ちょっと計り知れない何かがあるようにも感じ、現段階では第二シーズンを見るまでは判断を保留せざるを得ない、と感じている。
アニメになったアイドルマスターシンデレラガールズという作品に対する現時点での見かたを簡単にまとめると、
「予想外に物語性、ドラマ性の強い作品であったことに対する驚きと、そうであるがゆえに感じる違和感と戸惑い」
といったところだろうか。
しぶりんと卯月の出会いから始まる第一話は、これからドラマを見せるぞ!
という決意のようなものを感じさせるつくりで、まずそこに、そうくるかという意外性があった。
というのも、もともとソシャゲであるシンデレラガールズのキャラクターの面々というのはかなり個性的で言い方は悪いかもしれないがわかりやすい記号的な特徴が付与されているキャラが多い。
本家765プロの面々はそういう記号性は抑えられているのとは、方向性が違っていて、それ自体はゲームそのものの特性の差であり差別化でもあるので、どっちがいい悪いと言う話でもないとは思う。
ただ、アニメ化に際して先行した765プロのいわゆるアニマスがあまり記号的でないキャラであったがゆえにドラマ性、物語性の強い作品を作るのに向いていたのに対して、シンデレラガールズはあまりその方向性は向いていないのではないかと思っていた。
ドラマ性を追求するより、キャラものとしてキャラの個性、魅力を描くことに重点を置いたほうがいいし、向いている作品だろうと、個人的にもそういうものが見たいし、そうなるだろうと期待していた。第一話の放送が始まるまでは。
しかし、その予想を見事にはずれ、6、7話にいたっては、そこまでやるか、というほどに重いというか濃厚なドラマを見せ付けられて、すごいと思いつつもかなり戸惑った。
しかし、その後の個別のユニット結成を描く各話では、ドラマ性は残しつつも、キャラの魅力、個性を描くほうに、力点が置かれていてこの個別ユニット回は、これこれこういうのが見たかったんだよ、というつくりだった。
アニメアイドルマスターシンデレラガールズは原作ソシャゲの個性的記号的なキャラで765アニマスと同じ方向性の物語、ドラマをつくろうとしていると思うのだけれど、この素材で、この料理の仕方はチャレンジ過ぎないか?と思ってしまう。
しかしその一方で、このアニメ化で最も自分が意外性を感じつつもその魅力と株が挙がったキャラがみくにゃんこと前川みくなんだろうと考えるとまた複雑ではある。
みくにゃんは猫耳つけて語尾に「にゃ」をつけるベタベタな特徴づけをされている、ある種アイドルものとしてみた場合、それこそギャグとしてステレオタイプのモブ扱いされてもおかしくないポジションにいる。
そのみくにゃんがアニメ化される中で、アイドルになりたいという欲望に忠実で、泣いたり怒ったり普通の女の子が持つ情緒を表にさらけだし、はしばしに生活臭を漂わせ、その記号的な外面に反して、もっとも血肉の通った人間として描かれている。
みくにゃんにかぎらず他のアイドルたちもそういった側面は数多く見られる。
これは、ドラマ性のあるものを作ろうとするがゆえに、登場人物をすべて等しく地に足のついた人間として描く必要性から生じたものであるのだけれど、そうであるがゆえに、記号的であったはずのキャラクターが記号的でない別の魅力を獲得するにいたったわけで、ドラマ性をおさえていたら、みくにゃんがこういうキャラに成長することはなかったかもしれない。
記号的なキャラを記号的なままで終わらせない、血肉の通った魅力を引き出したい、という意思が、シンデレラガールズという作品にはあるのかもしれない。
その為の濃厚なドラマ作りであるとしても、一方で本田未央というキャラクターは、その負の面を背負わされてしまったのではないかと思わずにはいられないのだ。
もうひとつ、違和感を感じていることがある。
それは、追い込んでいるキャラ、物語に対して、得られるカタルシスが半端に感じてしまっているということなのだけれど、それがなぜなのかは、今はまだ明確に言語化で来ていない。
6話の未央の追い込みに対する7話の解決編のカタルシスは7割、13話の節目のライブ回は8割ほどのカタルシスしか感じない。
キャラや物語を追い込んだり重い展開を見せられたら、その分100%のカタルシスで返して欲しいと思うのだけれど、そこにブレーキがかかっているというか、100%気持ちよくさせてもらえない何かがある。
正直これがなんなのか、なぜそうなのか、あるいはそう感じてしまうのかは、未だにわからない。
ひとつには、まだしぶりんや卯月。未央というキャラをまだぜんぜん描き込んでいない、道半ばの状態にあるがゆえなのかもしれない。あるいはまだ100%に持っていく気がなくて、出力をおさえているのか。
どちらにせよ、気持ちよくドラマのカタルシスを感じたいのに100%気持ちよくなれない、絶頂に至れないもどかしさを現時点では感じてしまっているのは確かだ
アイドルマスターシンデレラガールズという作品は、自分のもっている物差しで計ろうとすると、微妙になにかがずれる。
それは記号的であったはずのキャラにここまで血肉の通ったドラマをやらせようという、意欲的、挑戦的作品を過去にみたことがないからかもしれない。
そうであるがゆえに、ちょっと計り知れない何かがあるようにも感じ、現段階では第二シーズンを見るまでは判断を保留せざるを得ない、と感じている。
2015/04/10
魔法少女リリカルなのはVivid 第一話感想
TVシリーズとしてはおよそ8年ぶりのリリカルなのはシリーズ最新作にして正統続編にあたる魔法少女リリカルなのはVividがはじまりましたー、どんどんぱふぱふー
いやあ、このときを長いこと待ちました。
前作Sts終了後、劇場版2作の製作と平行して連載されていた漫画での続編ということで、いつか必ずアニメ化はされるだろうと信じ続けていましたが、よもやこんなに時が経ってしまうとはねえ。
や、もうね、はじまってから終わるまで、にやにやがとまらない。
導入の朝起きて着替えて自己紹介するヴィヴィオ、これが、完璧に無印の一話のオマージュになっていて、うまいというか、ずるいというか。
なのはがママしてて、フェイトと完璧夫婦で、ヴィヴィオと仲良し親子で家族で幸せいっぱいで、無印から始まった物語が続いていて、キャラが息づいて成長して、ここにたどり着いて、いままたそこに生きているんだという実感。
シリーズをずっと追い続けて見続けて愛情を注ぎ続けてきたからこそ、そうでない人たちには見えないものが作品の向こう側に広がって見えてきて、もう、うれしくてたのしくてしょうがなかった。
ほんとうに、自分がリリカルなのはという作品が好きで好きで、大好きなんだ、ということを再確認させてくれた。
漫画原作があるとはいえ、やはり絵が動いてキャラがしゃべるアニメは格別で特別なんだなあ、うん。
という感じで、シリーズのファンとしては大満足なのでした。
それはさておき、8年ぶりのTVシリーズということで、もはやシリーズをまったく見たことないという初心者さんもこの作品を見るんだろうなあということで、始まる前はもう少し、その辺配慮した構成になるのかな?と思っていました。
だけど、そんなことは、なかったぜ!
原作漫画を上手く再構成して導入話としてはきれいにまとめてはいるのだけれど、最初からナンバーズはじめ前シリーズのキャラはガンガン出すし、StS後のお話を書いたドラマCDにでてくるイクスも出てくるし、世界観について過剰に説明はしていないし、初見殺しもいいとこになっているのだけれど、大丈夫かしら。
まあ、過剰に説明しないのは、むしろいいとは思うのだけれど、なんとなく魔法のある世界で女の子が格闘技やってます程度の理解でとりあえず十分だし。
はてさて、これについてきてここからファンになってくれる御新規さんがどれくらいいるのかなあ、とやや気がかりではあります。
そんなわけで始まったVivid、存分に楽しんでいきたいとおもいます。
あ、あと、今回もおなじみの奈々ゆかりのOP&ED、作品にそって明るく楽しい雰囲気になってていい感じです、とくにゆかりんのEDはいつものしっとりしたものが多かったのに対して、今回はアップテンポで疾走感のある曲になっていて作品イメージにぴったりで、ここも期待通りでよかった。
いやあ、このときを長いこと待ちました。
前作Sts終了後、劇場版2作の製作と平行して連載されていた漫画での続編ということで、いつか必ずアニメ化はされるだろうと信じ続けていましたが、よもやこんなに時が経ってしまうとはねえ。
や、もうね、はじまってから終わるまで、にやにやがとまらない。
導入の朝起きて着替えて自己紹介するヴィヴィオ、これが、完璧に無印の一話のオマージュになっていて、うまいというか、ずるいというか。
なのはがママしてて、フェイトと完璧夫婦で、ヴィヴィオと仲良し親子で家族で幸せいっぱいで、無印から始まった物語が続いていて、キャラが息づいて成長して、ここにたどり着いて、いままたそこに生きているんだという実感。
シリーズをずっと追い続けて見続けて愛情を注ぎ続けてきたからこそ、そうでない人たちには見えないものが作品の向こう側に広がって見えてきて、もう、うれしくてたのしくてしょうがなかった。
ほんとうに、自分がリリカルなのはという作品が好きで好きで、大好きなんだ、ということを再確認させてくれた。
漫画原作があるとはいえ、やはり絵が動いてキャラがしゃべるアニメは格別で特別なんだなあ、うん。
という感じで、シリーズのファンとしては大満足なのでした。
それはさておき、8年ぶりのTVシリーズということで、もはやシリーズをまったく見たことないという初心者さんもこの作品を見るんだろうなあということで、始まる前はもう少し、その辺配慮した構成になるのかな?と思っていました。
だけど、そんなことは、なかったぜ!
原作漫画を上手く再構成して導入話としてはきれいにまとめてはいるのだけれど、最初からナンバーズはじめ前シリーズのキャラはガンガン出すし、StS後のお話を書いたドラマCDにでてくるイクスも出てくるし、世界観について過剰に説明はしていないし、初見殺しもいいとこになっているのだけれど、大丈夫かしら。
まあ、過剰に説明しないのは、むしろいいとは思うのだけれど、なんとなく魔法のある世界で女の子が格闘技やってます程度の理解でとりあえず十分だし。
はてさて、これについてきてここからファンになってくれる御新規さんがどれくらいいるのかなあ、とやや気がかりではあります。
そんなわけで始まったVivid、存分に楽しんでいきたいとおもいます。
あ、あと、今回もおなじみの奈々ゆかりのOP&ED、作品にそって明るく楽しい雰囲気になってていい感じです、とくにゆかりんのEDはいつものしっとりしたものが多かったのに対して、今回はアップテンポで疾走感のある曲になっていて作品イメージにぴったりで、ここも期待通りでよかった。
2014/12/31
2014年個人的まとめ
今年も全然更新できませんでしたが、2014年まとめです。
といっても、今年はもうすべて「未確認で進行形」というひとつの作品に集約されているといっても過言ではありません。
「未確認で進行形」という作品、本編そのものも非常に完成度が高く日常系ラブコメものとしてかなり好みの作品であったことは、確かなのですが、この作品は自分にとって過去にあまり例のない「事件」でした。
「未確認で進行形」では、本放送と同時に毎週ニコニコ生放でメインキャスト、照井春佳、松井恵理子、吉田有里の三人によるトーク番組が流されていたのですが、それがあまりにおもしろかった。まったく名前すら知らなかった新人声優三人が生放送で見せるハラハラドキドキとがんばりが本編以上にドラマチックで感動的で、すっかり三人の虜になってしまい、もはや本編が好きなのかキャスト三人が好きなのか、作品評価としてこの二つが完全に不可分なものとして、自分の中で成り立ってしまった。
作品ごとに声優によるラジオがあるのは今に始まったことでもないし、ニコニコ動画を使った特番を生でやることももはや珍しいことでもないかとは思うのだけれど、自分個人としてここまで本編と声優(しかもまったく興味すらなかった新人)が密接に絡まって、はまってしまったというのは初めてのできごとではないかと思います。
そんなわけで、未確認が終わった後もこの三人を見守り、応援していかなければという思いが
とめられず、三人のその後の動向、出演作品はできるだけチェックするようになってしまいしたとさ。
今年仕事が急激に忙しくなったために、中々時間がとれずアニメを見る本数もかなり減ってしまった中で、未確認のおかげでそれがアニメを見る動機と取捨選択の基準のひとつになっているというのが今年一年、そして現在も続いている現状だったりします。
以下今年印象に残った作品と簡単な感想
・ログホライズン
一話で見るのをやめてしまっていたのをカッターこと松井恵理子が出演していることを知り後追いで見返したら想像以上におもしろく好評価にいたった作品。
・結城友奈は勇者である。
照井春佳主演、ぱるにゃすの時代キターということで喜び勇んで見ていました。
中盤までの緊張感、不安の煽り方が絶妙にうまく、毎週どうなる的なおもしろさは確かにあってオリジナルの週アニメとしては仕掛け方も含めてうまかったとは思う。
ただラストはいまだに納得いっていない。
・ノーゲーム・ノーライフ
アニメがそこそこおもしろくて続きが気になって原作に手を出したら予想以上にはまった。
自分がこの作品の何がおもしろくて何が好きなのかちょっと他人に説明しづらい。
たぶん物語の根底にある世界や人間に対する考え方、見方が自分がガキだったころに抱いていた中二的な思想、理想と共通するものがあって、それを呼び起こしてくるからなのではないかと思う。
愚王と呼ばれたステフのおじいさまのエピソードがすごく好き。
まだアニメになってないけど原作の6巻の話が大好き。
・ろこどる
アイドルものが、アイドルになることを物語の中心、ドラマにすえるため、夢とか努力とかを前面に押し出すのが前提というか当たり前な中で、ろこどるは、地方アイドルということもあってかあまりその辺をガツガツすることなくゆるーくお仕事としてアイドルをしていて、気を張らずに楽しむことができた、数あるアイドルものの中でも、食休め的な一品かも。
・トライブクルクル
キッズ向けダンスアニメ。
どういった経緯でつくられたのかは知らないが、一話二話での脚本演出の完璧さですっかり虜になってしまった。おしむらくはもう少しダンスのCGのパターンがあればなあと。
ゲストキャラで吉田有里が出てきたのも、うれしかった。
見逃さなくと本当によかったと思える作品。
力尽きた、あとこんなもんかなー
異能バトルは日常系のなかで
のうりん
ピンポン
ハイキュー
月刊少女野崎くん
ばらかもん
棺姫のチャイカ
selector infected WIXOSS
桜Trick
劇場アニメはアイマスくらいしか見ていないような。
劇場版アイマスは自分の中で、アイマスという作品のひとつの区切りになってしまった感がちょっとあるかなあと思ったりします。
それでは、よいお年を
といっても、今年はもうすべて「未確認で進行形」というひとつの作品に集約されているといっても過言ではありません。
「未確認で進行形」という作品、本編そのものも非常に完成度が高く日常系ラブコメものとしてかなり好みの作品であったことは、確かなのですが、この作品は自分にとって過去にあまり例のない「事件」でした。
「未確認で進行形」では、本放送と同時に毎週ニコニコ生放でメインキャスト、照井春佳、松井恵理子、吉田有里の三人によるトーク番組が流されていたのですが、それがあまりにおもしろかった。まったく名前すら知らなかった新人声優三人が生放送で見せるハラハラドキドキとがんばりが本編以上にドラマチックで感動的で、すっかり三人の虜になってしまい、もはや本編が好きなのかキャスト三人が好きなのか、作品評価としてこの二つが完全に不可分なものとして、自分の中で成り立ってしまった。
作品ごとに声優によるラジオがあるのは今に始まったことでもないし、ニコニコ動画を使った特番を生でやることももはや珍しいことでもないかとは思うのだけれど、自分個人としてここまで本編と声優(しかもまったく興味すらなかった新人)が密接に絡まって、はまってしまったというのは初めてのできごとではないかと思います。
そんなわけで、未確認が終わった後もこの三人を見守り、応援していかなければという思いが
とめられず、三人のその後の動向、出演作品はできるだけチェックするようになってしまいしたとさ。
今年仕事が急激に忙しくなったために、中々時間がとれずアニメを見る本数もかなり減ってしまった中で、未確認のおかげでそれがアニメを見る動機と取捨選択の基準のひとつになっているというのが今年一年、そして現在も続いている現状だったりします。
以下今年印象に残った作品と簡単な感想
・ログホライズン
一話で見るのをやめてしまっていたのをカッターこと松井恵理子が出演していることを知り後追いで見返したら想像以上におもしろく好評価にいたった作品。
・結城友奈は勇者である。
照井春佳主演、ぱるにゃすの時代キターということで喜び勇んで見ていました。
中盤までの緊張感、不安の煽り方が絶妙にうまく、毎週どうなる的なおもしろさは確かにあってオリジナルの週アニメとしては仕掛け方も含めてうまかったとは思う。
ただラストはいまだに納得いっていない。
・ノーゲーム・ノーライフ
アニメがそこそこおもしろくて続きが気になって原作に手を出したら予想以上にはまった。
自分がこの作品の何がおもしろくて何が好きなのかちょっと他人に説明しづらい。
たぶん物語の根底にある世界や人間に対する考え方、見方が自分がガキだったころに抱いていた中二的な思想、理想と共通するものがあって、それを呼び起こしてくるからなのではないかと思う。
愚王と呼ばれたステフのおじいさまのエピソードがすごく好き。
まだアニメになってないけど原作の6巻の話が大好き。
・ろこどる
アイドルものが、アイドルになることを物語の中心、ドラマにすえるため、夢とか努力とかを前面に押し出すのが前提というか当たり前な中で、ろこどるは、地方アイドルということもあってかあまりその辺をガツガツすることなくゆるーくお仕事としてアイドルをしていて、気を張らずに楽しむことができた、数あるアイドルものの中でも、食休め的な一品かも。
・トライブクルクル
キッズ向けダンスアニメ。
どういった経緯でつくられたのかは知らないが、一話二話での脚本演出の完璧さですっかり虜になってしまった。おしむらくはもう少しダンスのCGのパターンがあればなあと。
ゲストキャラで吉田有里が出てきたのも、うれしかった。
見逃さなくと本当によかったと思える作品。
力尽きた、あとこんなもんかなー
異能バトルは日常系のなかで
のうりん
ピンポン
ハイキュー
月刊少女野崎くん
ばらかもん
棺姫のチャイカ
selector infected WIXOSS
桜Trick
劇場アニメはアイマスくらいしか見ていないような。
劇場版アイマスは自分の中で、アイマスという作品のひとつの区切りになってしまった感がちょっとあるかなあと思ったりします。
それでは、よいお年を
2014/10/01
リリカルなのは10周年!
本日魔法少女リリカルなのはBDBOX発売!
そして、本日10/1は奇しくも「魔法少女リリカルなのは」アニメ放映開始10周年なのだそうです。
自分がなのはを初めて見て、はまったのがA's放映直後からなので、10年付き合ったというわけでは、ないのだけれど実質それに近い年月かかわって、ファンであり続けていることを思うと、やはり感慨深いものがあります。
10周年の節目に残念ながら劇場版3rd公開とまではいかず、TVシリーズのBDBOX発売だけで、でお茶をにごされてしまった感がないとはいえませんが、ソシャゲのINOCENNTは新展開、そしてVividは来年TVアニメ化発表と、シリーズとしてコンテンツの継続性は常に維持されているということは、決して当たり前とはいえないことではないかと思います。
Vividアニメ化は現段階で発表されている情報よると制作をA1が担い、監督も替わり、脚本も都築氏本人以外が担当するということで、これまでの制作体制と大きく異なっている。
Vividは、シリーズのファンの期待と満足を満たすという目的がある一方で。新規層の開拓という使命もあり、その結果如何によっては、今後のシリーズの命運も幾らか左右されるのではないかと思います。
そういった新作の投入によって、なのはシリーズは11年目を向かえ、今後、どのように発展変化していくのか、下手をすれば、シリーズが途切れることなく20年を迎える可能性もあり得るのでは、と妄想期待もしてしまいます。
TVシリーズが3ヶ月ごとに新作がどんどん作られ、入れ代わりが激しい昨今のアニメ、オタク界隈の状況を考えると、コンテンツとして10年生き残ることができたというのも、本当にレアなケースで、どうしてこんなに続いたのか、ファンである自分にもなんでなのか不思議なくらいです。
一言で言ってしまえば、キャラの魅力とファンの熱意に尽きるんだろうと思うのですが、なのはのファンて本当に黙々とコンテンツに金を出す不思議な集団で、その熱意は本当にどこからわいてくるんだろうなー、と、BDBOXに10万円つぎ込みながら思うしだいであります
そして、本日10/1は奇しくも「魔法少女リリカルなのは」アニメ放映開始10周年なのだそうです。
自分がなのはを初めて見て、はまったのがA's放映直後からなので、10年付き合ったというわけでは、ないのだけれど実質それに近い年月かかわって、ファンであり続けていることを思うと、やはり感慨深いものがあります。
10周年の節目に残念ながら劇場版3rd公開とまではいかず、TVシリーズのBDBOX発売だけで、でお茶をにごされてしまった感がないとはいえませんが、ソシャゲのINOCENNTは新展開、そしてVividは来年TVアニメ化発表と、シリーズとしてコンテンツの継続性は常に維持されているということは、決して当たり前とはいえないことではないかと思います。
Vividアニメ化は現段階で発表されている情報よると制作をA1が担い、監督も替わり、脚本も都築氏本人以外が担当するということで、これまでの制作体制と大きく異なっている。
Vividは、シリーズのファンの期待と満足を満たすという目的がある一方で。新規層の開拓という使命もあり、その結果如何によっては、今後のシリーズの命運も幾らか左右されるのではないかと思います。
そういった新作の投入によって、なのはシリーズは11年目を向かえ、今後、どのように発展変化していくのか、下手をすれば、シリーズが途切れることなく20年を迎える可能性もあり得るのでは、と妄想期待もしてしまいます。
TVシリーズが3ヶ月ごとに新作がどんどん作られ、入れ代わりが激しい昨今のアニメ、オタク界隈の状況を考えると、コンテンツとして10年生き残ることができたというのも、本当にレアなケースで、どうしてこんなに続いたのか、ファンである自分にもなんでなのか不思議なくらいです。
一言で言ってしまえば、キャラの魅力とファンの熱意に尽きるんだろうと思うのですが、なのはのファンて本当に黙々とコンテンツに金を出す不思議な集団で、その熱意は本当にどこからわいてくるんだろうなー、と、BDBOXに10万円つぎ込みながら思うしだいであります
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2014/04/11
【雑感】アニメ視聴体力の衰えについて
アニメを見る上で必要なものとして「視聴体力」というものがある。
そしてそれは歳をとるとともに衰えていく。
と、以前から感じていて、同様のことを考えているている人をちらほら見かけるのだけれど
いままで、それを漠然としたものとし、そのアニメ視聴体力の衰えをここ最近また強く感じ始めたので、ちょっと改めて深く考えてみたいと思います。
現在40歳、視聴体力が落ちてきたなあと感じたのは30半ばくらいから
歳をとるとともに単純に多すぎる新作アニメを見るのがつらくなり、徐々に本数が減っていく傾向にあったためにそういう風に思っていたのがきっかけではあるのだけれど、ここ最近は毎期ごとの新作アニメの録画の再生ボタンを押す手が重い、というところまできてしまった。
新作アニメを見よう、見たいというモチベーションはあっても、なんとなく体が拒否している感じ。
これはなんなのか。
疲れているとき、特に集中力がなくなっている時にアニメを見ようと思っても中々気が進まない。
それが新作アニメとなると、新しいキャラクター、新しい設定、世界観をいちから理解し覚えなければならないため既存のシリーズ作品や継続作品を見るよりも、余計に集中力を使い脳みそをフル回転する必要がある。これが結構疲れる。
そのために新作アニメを見たあとの疲労感を想像して見るのを躊躇してしまう。
これは、二十代のころはほとんど感じる事のなかった事象で、本当の意味で肉体的な衰えが、集中力の衰えに直結していて、集中力がいかにアニメを見る上で必要であるかを実感するようになった。
これが自分がそう呼んでいる、いわゆるアニメ視聴体力というものだ。
いってしまえば単に集中力の問題ではあるのだけれど、この視聴体力が衰えるといろいろアニメを見る選択、好みにも影響がでてくる。
たとえば学園ラブコメものとSFロボットアニメ
どちらが視聴体力を必要とするかといえば後者だ、学園ラブコメは舞台装置は大体同じで物語もパターン化されているのでさほど理解力を必要としない、キャラの相関関係さえわかれば事足りるので、視聴体力をあまり必要としない
しかし、SFロボットものや異世界ファンタジーものは、世界観、設定が理解できないとまず作品世界になじめない、物語の進行も連続性が高く、謎や伏線を抑えて理解していかなければならないために集中力、記憶力を要求され、視聴体力をかなり必要とされる。
また作画や背景の緻密な作品、というのも画面から得られる情報量が過剰なため、やはり集中力を必要としてしまうため見ていて疲労する。
これはもともと情報量の多いSF系の作品だけに限ったこととは言えず、昨今のクオリティの上昇で一部の日常系作品も作画が緻密になり情報量が上がっている。
そういう意味ではPAワークスや京都アニメーションあたりの作品は、かなり見るのに体力を要すると感じてしまうことがある。
加えていうなら、好みや興味に左右される部分もあり、自分の関心の低いジャンルや苦手意識のあるものはやはりつらくなるり視聴体力を大きく奪われる。
一方で、好みのジャンルであるとか、そもそも情報量が少ない作品というのとは別に、視聴体力を気にせず見られる作品というものもある。
作品のジャンルにあった適度な作画の情報量、見る側に設定を理解しやすく提示するために整理されたシナリオ、そして何より視聴者を飽きさせない巧みなコンテ演出、これらのそろった作品ならば、視聴体力を意識せずに見ることができ、次回も見ようという気にもさせてくれる。
逆に情報量過多でコンテの不味い作品は見終わった後の疲労感が半端なく次回を見ようという気力が減退してしまう。
ちょうど整地されたまっすぐな道とまがりくねった未整備の悪路、歩いてどちらが体力を使わずに済むかといったところだろうか。
楽しい、面白い、はやく続きが見たい!と思えれば、あとは視聴体力なんてものは気にすることなくみられるのだけれど、一話で乗り切れなかった作品を継続して見るのはどうしても視聴体力を必要としてしまうのだ。
もちろんこの視聴体力を使わずに見る方法というものもある。
それは集中せずに適当にみればいい。
ネットしながら、実況しながら、スマホいじりながら、流し見する。
たださすがにこれを新作の1話でやる気はしないし、スロースタートでじっくりと見せていくタイプの作品というのもあるので、これはちゃんと見たほうが楽しめるだろうなあと思う作品では、流し見はあまりしたくない。
結果、好みのジャンルのものでも体力を必要としそうな作品は、後回しになり溜め込んでしまうという悪循環を生んでしまう。
そんな感じで年々、シリーズ通して全話見る作品というは減少傾向です。
全部見れるに越したことはないのかもしれないけれど、時間、体力、気力を削ってまで見てもそれはやはりつらいだけで、何でアニメ見ているのかわからなくなるし、一方で作品を見る目、審美眼は多くの視聴経験の積み上げで、自分にあった作品の取捨選択、その判断にはある程度自信もあるので、最近は見続けることのできなかった作品は、それはそれ、と達観しつつあったりします。
体力の衰えを感じつつも、それでも毎期がんばって新作を一通り見ようと努めているわけです。
まあ、なんでそこまでして新作にこだわんのと、話題になった作品とか売れてる作品だけ見とけばいいじゃんと思う向きもあるのかなと思うのですが、習い性というかなんというか。
他人の評価によるおススメや話題性だけでは、自分の本当の好みの作品にめぐり合えない、自分の目で見てみないと、結局は判断できない、そして何より自分で見出した、価値を認めた作品のほうがより思い入れが強くなる、ということを経験上わかってしまっているがゆえに、新作アニメのチェックはやめるわけにはいかないのです。
そしてそれは歳をとるとともに衰えていく。
と、以前から感じていて、同様のことを考えているている人をちらほら見かけるのだけれど
いままで、それを漠然としたものとし、そのアニメ視聴体力の衰えをここ最近また強く感じ始めたので、ちょっと改めて深く考えてみたいと思います。
現在40歳、視聴体力が落ちてきたなあと感じたのは30半ばくらいから
歳をとるとともに単純に多すぎる新作アニメを見るのがつらくなり、徐々に本数が減っていく傾向にあったためにそういう風に思っていたのがきっかけではあるのだけれど、ここ最近は毎期ごとの新作アニメの録画の再生ボタンを押す手が重い、というところまできてしまった。
新作アニメを見よう、見たいというモチベーションはあっても、なんとなく体が拒否している感じ。
これはなんなのか。
疲れているとき、特に集中力がなくなっている時にアニメを見ようと思っても中々気が進まない。
それが新作アニメとなると、新しいキャラクター、新しい設定、世界観をいちから理解し覚えなければならないため既存のシリーズ作品や継続作品を見るよりも、余計に集中力を使い脳みそをフル回転する必要がある。これが結構疲れる。
そのために新作アニメを見たあとの疲労感を想像して見るのを躊躇してしまう。
これは、二十代のころはほとんど感じる事のなかった事象で、本当の意味で肉体的な衰えが、集中力の衰えに直結していて、集中力がいかにアニメを見る上で必要であるかを実感するようになった。
これが自分がそう呼んでいる、いわゆるアニメ視聴体力というものだ。
いってしまえば単に集中力の問題ではあるのだけれど、この視聴体力が衰えるといろいろアニメを見る選択、好みにも影響がでてくる。
たとえば学園ラブコメものとSFロボットアニメ
どちらが視聴体力を必要とするかといえば後者だ、学園ラブコメは舞台装置は大体同じで物語もパターン化されているのでさほど理解力を必要としない、キャラの相関関係さえわかれば事足りるので、視聴体力をあまり必要としない
しかし、SFロボットものや異世界ファンタジーものは、世界観、設定が理解できないとまず作品世界になじめない、物語の進行も連続性が高く、謎や伏線を抑えて理解していかなければならないために集中力、記憶力を要求され、視聴体力をかなり必要とされる。
また作画や背景の緻密な作品、というのも画面から得られる情報量が過剰なため、やはり集中力を必要としてしまうため見ていて疲労する。
これはもともと情報量の多いSF系の作品だけに限ったこととは言えず、昨今のクオリティの上昇で一部の日常系作品も作画が緻密になり情報量が上がっている。
そういう意味ではPAワークスや京都アニメーションあたりの作品は、かなり見るのに体力を要すると感じてしまうことがある。
加えていうなら、好みや興味に左右される部分もあり、自分の関心の低いジャンルや苦手意識のあるものはやはりつらくなるり視聴体力を大きく奪われる。
一方で、好みのジャンルであるとか、そもそも情報量が少ない作品というのとは別に、視聴体力を気にせず見られる作品というものもある。
作品のジャンルにあった適度な作画の情報量、見る側に設定を理解しやすく提示するために整理されたシナリオ、そして何より視聴者を飽きさせない巧みなコンテ演出、これらのそろった作品ならば、視聴体力を意識せずに見ることができ、次回も見ようという気にもさせてくれる。
逆に情報量過多でコンテの不味い作品は見終わった後の疲労感が半端なく次回を見ようという気力が減退してしまう。
ちょうど整地されたまっすぐな道とまがりくねった未整備の悪路、歩いてどちらが体力を使わずに済むかといったところだろうか。
楽しい、面白い、はやく続きが見たい!と思えれば、あとは視聴体力なんてものは気にすることなくみられるのだけれど、一話で乗り切れなかった作品を継続して見るのはどうしても視聴体力を必要としてしまうのだ。
もちろんこの視聴体力を使わずに見る方法というものもある。
それは集中せずに適当にみればいい。
ネットしながら、実況しながら、スマホいじりながら、流し見する。
たださすがにこれを新作の1話でやる気はしないし、スロースタートでじっくりと見せていくタイプの作品というのもあるので、これはちゃんと見たほうが楽しめるだろうなあと思う作品では、流し見はあまりしたくない。
結果、好みのジャンルのものでも体力を必要としそうな作品は、後回しになり溜め込んでしまうという悪循環を生んでしまう。
そんな感じで年々、シリーズ通して全話見る作品というは減少傾向です。
全部見れるに越したことはないのかもしれないけれど、時間、体力、気力を削ってまで見てもそれはやはりつらいだけで、何でアニメ見ているのかわからなくなるし、一方で作品を見る目、審美眼は多くの視聴経験の積み上げで、自分にあった作品の取捨選択、その判断にはある程度自信もあるので、最近は見続けることのできなかった作品は、それはそれ、と達観しつつあったりします。
体力の衰えを感じつつも、それでも毎期がんばって新作を一通り見ようと努めているわけです。
まあ、なんでそこまでして新作にこだわんのと、話題になった作品とか売れてる作品だけ見とけばいいじゃんと思う向きもあるのかなと思うのですが、習い性というかなんというか。
他人の評価によるおススメや話題性だけでは、自分の本当の好みの作品にめぐり合えない、自分の目で見てみないと、結局は判断できない、そして何より自分で見出した、価値を認めた作品のほうがより思い入れが強くなる、ということを経験上わかってしまっているがゆえに、新作アニメのチェックはやめるわけにはいかないのです。
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