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2016/12/26

「この世界の片隅に」
公開から一か月以上、見てからだいぶ間があきましたが、そろそろいいかなーというところで感想です。

巧すぎる。
すごくいい映画。
でも遠すぎる。

超絶短くまとめると以上です。

見た直後は、いい映画を見たという以上の感想が出てこなかった。
だっていい映画としか言いようがないんだもの。

いい映画だと思えるのは、それがこの映画が巧すぎるからでもある。
技術的に優れているところがあるなら、ここのあそこがすごかったよかったという感想がでてくるが、この映画は全編が細部に至るまで極まっているうえで、その技術の高さを誇示するような作り方をしていない。
巧すぎるがゆえに巧いことを気にさせない。
映画という世界への没入を阻害させない、正しい技術の使い方がなされているので、素人がとやかく言うのはおこがましいのではないかと思えてしまう。

しかし戦争とその中で生きる人々の日常という題材は、自分にとって遠すぎる。
広島・呉という舞台もなじみがなく、登場人物の立ち位置も、自分からは遠い。
遠い場所、違う時代生活している人々、けれどそこで何が起きるかは知っている。
遠い世界知らない時代でありながら、映画を見ている間は近くに感じつつも、そこであったこと、起きたことに、そこから遠いところにいる自分が言えることなんてなにかあるのだろうか、と。
共感も反発も自分の中に見出すことはできなかった。
なにか感想を持つには遠すぎるのだ。

故に「いい映画」だったいう感想しか自分の中からはでてこなかった。


ここから余談。

自分にとっての不幸は、片渕監督を知りすぎた上で「この世界の片隅に」を見てしまったことなのではないかと思う。
もし、事前になにも知らずにこの映画を見ていれば、もっと別の感じ方をしたかもしれないし、
すごい映画をみた!傑作だ!みんな見よう!
と騒いだかもしれない。
が、それは「マイマイ新子」の時に通り過ぎた地点だったので。

片渕監督のことを意識するようになったのは今は亡き名作劇場枠で制作された「名犬ラッシー」でした(古参アピール)
「名犬ラッシー」の緻密で丁寧な少年少女の人物描写心情描写に、この人が名作劇場の監督続けてくれたら名作劇場は安泰だ!と当時そんなこと思っていましたが、すでに名作劇場の枠は命脈が尽きていてまもなく消滅してしまいました。

その後「アリーテ姫」を映画祭の上映で見る幸運に恵まれ、その時点で片渕監督が高畑勲監督の後継足りうる実力と可能性を持った存在ではないかと期待を寄せるようになった。
そして「マイマイ新子」に至るわけですが、ご存じの方は多いかもしれませんが、「マイマイ新子」は興行的には惨敗でした。

「マイマイ新子」はその傑作ぶりと大惨敗の不幸ぶりで、一部熱心なファンを獲得し地道な上映運動などを経てじわじわと拡散していき、さらにそこから今回の「この世界の片隅に」のクラウドファンディングでの制作実現へと見事な復活劇を演じて見せたわけです。

ちなみに自分はこのクラウドファンディングに出資していません。
期待する監督、制作者の出資して応援する。ということ自体は意義も価値もあることでそれ自体は素晴らしいことであり否定はしない。
ただ、個人的な考えとして「期待した監督に金出して作ってもらった映画が自分の期待を裏切った時や望むものと違った時が怖い」「出資してしまったら出来上がった映画の感想を素直に言えなくなるかもしれない」というところから二の足を踏んで出資をためらってしまった。
と、同時に片渕監督にはすでにマイマイ新子で獲得した熱心で活動的なファンが多数いるので、もう安泰なんじゃないのか、と。
ある意味この映画は「マイマイ新子」の復讐戦であり、その戦闘要員として参加していれば逆に祭りとして、もっと楽しめたかもしれないのだけれどその道は選ばなかったので、もう見る前から気持ちは複雑。

そういうなんやかんやを含めた過程を経て「この世界の片隅に」は出資したとかしないとか関係なく「素直な感想」なんてあるわけがない状態で、見に行ったわけです。

そうして見て出てきた感想は、実にフラットに
「いい映画だった」
というシンプルなものでした。


2015/07/14

バケモノの子 感想

といいつつ、それにかこつけた細田守語りですです


以前からわかっていたことだけど、今回本当に確信したのは、細田監督は少年キャラ、というかショタキャラを描くときが一番イキイキしている。
サマーウォーズの時もそうだし、おおかみこどもの時もそうだったけど、今回はメインがショタとオヤジの関係だからな!
だがしかしその楽しいオヤジとショタのパートは前半で終了してしまうのでちょっと残念ではある。
結果、ガキみたいなかわいいオヤジが7割くらい占める映画になっちゃったけど、まあそれはそれで需要はありそうだからいいんじゃないですかね!
細田監督がいよいよ自分というか本性だしてきたんじゃないかな、これは、という感じで、見てて楽しくなったというかうれしくなった。

そして今回見ていて確信を得た、というか、もしかして今までカン違いしてたのかもしれないと思ったことがもうひとつ。
それは細田監督って女の子を魅力的に描く気がないんじゃないのか、ということ。
バケモノの子でも、一応ヒロインポジションの女の子が途中から登場するのだけれど、この子にまったく魅力を感じない。
なんというか添え物感が半端ない。
実のところいなくても映画自体は成立するなとすら思える。

サマーウォーズ、時をかける少女など細田作品での女性キャラは意外と評判がよくなかったりする。
魅力がないというより嫌われる、ちょっと癇に障るところのある女性キャラが出てくる。
自分も正直好きになれないところがあって、それは単に細田監督の女性の好みが合わないだけかと思っていたが、実はそれはカン違いだったんじゃないかと考えるようになった。

そもそも細田監督は女の子を描くことに興味がないのではないのかと。
女の子のキャラを描くときに、女の子への理想や妄想や趣味を仮託すれば、自然に魅力的にうつるものだと思う。
それが多少趣味が悪かったとしても、ほらこの子のこういう欠点もかわいいでしょ?となれば魅力的に描かれるのが必然なのではないかと。
しかし最初から女の子を描くことに興味がない、女の子に自分の理想や妄想や趣味を仮託する気がないのだと、と仮定するならば、その描かれる女性はフラットな存在で、魅力がないのは当然といえる。

そんなばかな、と思われるかもしれないが、ここで二つ証拠を提示したい。

この映画後半のアクションシーンでヒロイン楓が二度転ぶ。
アクションシーンで、ヒロインを連れて逃げるというのはお約束だし、危機感切迫感の演出として転ぶシーンがはいるのもパターンではあると思う。
でも二回必要だろうか?
一度なら転んだヒロインを気遣う主人公のやさしさも強調されてプラスになるが、二度転ばれると、「うわ、この女、足手まとい」という印象を見る側は感じてしまう。
なのになぜ二度転ばせるのか?すなわち深層意識でこのヒロインを不要な存在、足手まとい、と思っているからではないのか。

もうひとつ、気づいて、あ、とおもってしまったのだが、たくさんのモブでケモノキャラが出てくるがその中で、ケモノ耳少女がほとんど印象に残らない。
だいたいはオヤジっぽいキャラがほとんど。
男くさい社会を描きたいからかもしれないが、こんだけケモノキャラを出しているにもかかわらずモブでの遊びや賑やかし程度にもケモ耳少女キャラが目立たないようになっているのは、無意識的にそうなったのか逆に作為的なものを感じてしまう。

ショタキャラに対する思い入れ情熱のつよさが、細田作品から隠しようがなくにじみ出ている、ならばその表裏として、女に対する興味関心がまったくなくてもおかしくはないのではないか、というのは自分の中では盲点だった。
自分が思う以上に細田監督はガチやったんや!

この映画に女はいらんかった。
むしろそのポジションは年下の男の子にすべきだった。
ちょうど九太と熊徹と対になるように、そしたらこの映画は完璧だったかもしれない!

今回あの女を出さなければいけなかったのは、「体裁としての恋愛要素」が映画を売るため、企画を通すために必要だったからなのかもしれないない

とはいえ、今回の映画で細田監督が自分の描きたいこと、やりたいことのかなりの部分を自由にさらけ出してきた印象がある。
未だに自分は細田守の最高傑作はウォーゲームだと思っているのだけれど、よく考えれば、あの作品も本編の女性キャラが作品の中心から意図的に排除されていたと、いまさら気づく。

細田作品に女はいらない。

ウォーゲームを超える純度100%の細田守まで後一歩。

そんな確信と期待を思わせる作品でした。

2014/01/28

アイドルマスター劇場版 輝きの向こう側へ 感想

初日初回、舞台挨拶ライブビューイング付きで見てまいりました。

とりあえず本編の感想なのですが、見るまでは正直期待半分、不安半分でした。

製作決定の発表を受けてからの公開までの期間の短さ、一年弱は短すぎるのではないか、という不安。
もう一つ、TVシリーズが物語的にも作画演出的にも高いレベルで完成されていたので、それを受けての劇場版、TVシリーズのその後の物語、ということで、TV版と同等、あるいはそれ以上のものを、同じ「アイドルマスター」で実現できるのかという不安。
さらにミリオンライブからの新キャラ参加でどうなるのか。
といった不安を抱えつつも、TVシリーズを作ったスタッフには厚い信頼もあるし、やっぱり大好きなアイドルマスターの新作を見たい、欲しい!という純粋な期待というか欲求は高かった。

それだけに自分の中でハードルを上げすぎてがっかりしないようにするのに無駄に必死でした。


で、結果なのですが不安のひとつは的中
作画が・・・・・orz
ところどころ怪しい場面や間にあってないなあというカットがちらほら
それもクオリティが低いというより、やっぱり時間が足りてないなあという感じで、もったいない。
折角できるスタッフが集まってるのだからもっと時間をあげてじっくり作ればいいのに、と思ってしまいました。

ただ、不満な点をあげるとすればむしろそれだけ、あとはほぼ満足といっていい内容でした。

時間といういう問題でクオリティに期待できないかもという点でむしろ不安に感じてたのは、作画的な面よりも、TVシリーズで実現していた、それぞれのキャラに配慮したきめ細やかな描写、演出が削がれてしまっているのではないかということだったのだけれど、それは全くの杞憂でTV版同様、それは徹底していて、隙がなかった。

そんなわけで、後はストーリーを存分に楽しむことが出来て、そこはよかったなと。

でストーリー面については、TVシリーズの到達点からそれを受けての765プロの物語としてとても良く出来ていた。
一本の映画として物語のまとまりもよく、おそらくTVシリーズ未視聴でも問題なく楽しめるのではないかと思うのだけれど、TVシリーズを見ていれば、それぞれのキャラの各シーン、セリフ、その時の思いが、TVシリーズを経てのキャラの成長と積み重ねによって生まれた意味合いの深さを含んでいて、ズンと心に響いてくるという仕様になっていて、ちょっとしたシーンやセリフでもウルウルきてしまう。

また今回ミリオンライブから新規キャラとして7人、その中でも矢吹可奈をドラマの中心に据えたのも功をそうしていた。
765プロのアイドルのみでは、TVシリーズ以上のドラマや成長を描きづらいところに、新規キャラ、アイドルの卵、春香たちの後輩というポジションでドラマを担う役割をうまく果たしていた。

一番関心したのは本作のストーリーが上記の二点を含めた上で、TVシリーズラストで春香がたどり着いた結論、765プロのアイドルたちがが獲得した「765プロ」のあり方を、もう一度確認し前に進んでいくという物語になっていたということ、そしてそれがまさに「天海春香」の物語として見事に昇華されていた。


可奈のとった行為と結果は、プロとしてほぼ許されないことではないかと思う。
しかし、その可奈を春香は見捨てない。
「みんなで」「いっしょに」それが天海春香であり765プロだから

可奈の行為と結果からすれば、普通の物語なら、春香の優柔不断にも結論にも他のメンバーが異を唱えたり、反発してもおかしくない。
おそらく美希は今でも春香と正反対の考え方をしているだろうし、昔の千早なら志保の考えに近かったかもしれない。
でも美希は春香に口を挟まないし、千早は春香が出す答えを待っている。
それが何故なのかといえば、春香が出す答えを、765プロのメンバーは全員わかっているからなのだ。
TVシリーズでたどり着いた春香の出した結論、「みんなで」「いっしょに」なにも捨てることなく前に進んでいく、今度も同じ答えを春香なら出す、そしてその答えが自分たちを、そして765プロを今ここにある765プロにした答えであることを、みんな知っている。
だからプロデユーサーがリーダーとして選んだ天海春香の出す答えをみんなが待ち、その答えに、やっぱり春香の答えはそうだよね、と納得し、それにならうのだろう。


映画を見ていた自分にも春香が出すであろう答えがほぼわかっていたので、春香の優柔不断が少々もどかしかった。
「はやくはやく、可奈ちゃんののとこに直接行ってお話きいてあげてー」と思っていたのが、なかなかそこまでいかず、ずるずる結論を引き伸ばしたあげく、ようやっと会いに行ったら、あんなことになってしまっていて、それをみた瞬間
「いやいや可奈ちゃんそれはあかんわーないわープロとして許されんわー」とドン引きしてしまった。
しかし、それをみてもブレない春香さんはさすがやでーと思いながらも、ちょっとモヤモヤ
でも「私は天海春香だから!」と言われてしまうと
「うん、はい」というしかないくらいに、作品が積み上げてきたテーマとキャラの強さがそれを押しのけてしまうくらい強固で、道理が引っ込んでしまうというなかなか不思議な味わいを感じていた。

加奈ちゃんがちょっと損な役回りになってしまったけれどあそこまで追い込まないと、おそらく春香の「みんなで」「いっしょに」の思いの強さ深さが際立たなかっただろうなーとも思う。


「天海春香」がリーダーで主人公でなければおそらく納得出来ないこの物語の結末。
「私は天海春香だから!」という予告でも使われていた印象的なフレーズは、まさにこの映画そのものを表していたといってもいいくらい、この物語は天海春香の物語だったといっても過言ではないかと思う。


さて、作品の核心部分としては、こんなものだけど、他にも美希の春香に対するライバル心とか、雪歩の成長とか、伊織の役どころの美味しさとか他にも語るべきポイントは多々あるのですが、とりあえずこんなところで。

ただ今回やっぱり思ったことは、765プロメンバーだけではもう完成されてしまっているので、今後アニメを作るとするならミリオン組を出していくことは必要だなあ、と感じました。







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2013/12/14

かぐや姫の物語 (内容に全く触れていない)感想

だいぶ遅くなりましたがようやく見てまいりました。

まず最初に結論から

みたかった「高畑勲」の作品をみることができた、それだけで感無量

です。

いやもうほんとそれだけで十分、というくらい満足でした。
見に行く前から、そうなってくれるだろうなーという期待はあったのだけれど期待通りでよかったです。

さて本作に行く前に、高畑勲について言及せねばなるまいと思います。
というか本記事はむしろかぐや姫にかこつけた高畑勲語りです。

まず前作であるところの1999年公開の「となりの山田くん」
ジブリの中でも指折りの失敗作と思われている方が多いのではないかと思います。
当時もいまも「なんで山田くん?」と思わせるくらいどうしてこれを題材にして映画を作っちゃったんだ、という問題作でした。
この作品で使われた水彩調のデジタル彩色でセル絵とは違うアニメーションを作るという手法は、かぐや姫の物語でも採用されていたわけですが、その技術の革新性と異常な手間とカネのかかり具合にもかかわらず、その素材が「山田くん」であったがためにまったく見向きもされず、評価もほとんどされまぜんでした。

高畑勲という監督はあくまで演出家であり、宮崎駿と違い自分で絵を描くことをしない。
しかし、宮崎駿が、絵作りという点で、ある程度確立された手法を繰り返し映画を作っていたのに対して、高畑勲は常に新しい手法を導入してそれを試しながら、作品を作ってきた。
高畑勲は常に革新的で日本のアニメーションの表現の枠を広げることに最も貢献した存在だったといっていい。
今では、TVアニメでも当たり前になったレイアウトシステムや細やかな日常描写、深い心情描写を先んじて確立したのは高畑勲だった。
「となりの山田くん」もまた、高畑勲らしい革新的な手法、技術でつくられた作品だった。
しかし、その映画の中身はよく知られた4コマ漫画の家族の日常を描くものだった。
だが、当時は気づくことができなかった先進性、革新性が実はここにもあった。

「4コマ漫画 の 家族 の 日常 を 描く」

4コマの前に「萌え」とつけて、家族を美少女とか女子高生に置き換えれば、今や普通になった深夜の日常系アニメそのままじゃないか。

当時「となりの山田くん」を見たときの自分の感想は今でもはっきりと覚えている。

こんな昭和然とした家族が今の時代に存在するわけない、家族のありふれた日常を描いているようで、既にそれ自体が失われた理想であり幻想であり、ファンタジーでしかないじゃないか。

そう思った。

そうして10年たって気づいてみたら、日常をファンタジーとして描くアニメが世に溢れかえってしまっっていた。
ああ、なんという先進性、当時だれもそんなことに気づけるはずもない。


やや脱線したので話を戻します。

「となりの山田くん」の作品の平凡を通り越した普通さと技術の革新性のアンバランスは、当時見ていて歯がゆかった。
そんなもん普通の観客に理解できるか!企画の段階でもうちょっと考えろ!
、と。

しかし、実のところ高畑監督の作品のすごいところは、平凡な普通のことをすごく普通にすごい技術を費やして描いているんだけど、普通はそれに気づけないってことなのだ。
小学生時代に見ていた「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」の本当にどこの何がすごいのか、
自分が、「演出」というものを意識してアニメを見始めて二周ぐらい理解が深まってようやっとわかるようになったくらいだ
「となりの山田くん」だってそういう意味では「すごい」「平凡」な作品であることに違いはないのだが。

しかし、「火垂るの墓」以降高畑監督がジブリで作った三作、「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「となりの山田くん」この三作は正直、いずれもなんでこんな企画で作っちゃうかな?と疑問に思わざるをえないものだった。
自分自身これはどうなんだ?と思う一方で宮崎駿の評価と名声が上がり、世間に認知されているのに対し、そのジブリをもてはやすニワカに高畑監督の作品がハズレ扱いされることも気に食わなかったし、忸怩たるものがあった、「ハイジ」や「アン」のすごさが理解できるようになっていただけに
(ああええ、まあ嫌な自意識だとわかっていますよ、こういうのは)

そして「となりの山田くん」以降、これが「高畑勲」なんだ、と、そう言える作品をもう一度作ってもらいたい、そういう思いがくすぶる一方で、なんの音沙汰もなく時が過ぎていき、このままもう引退なのかなあと半ば諦めていた頃に、ついに沈黙を破って登場したのが、「かぐや姫の物語」だったというわけです。

で、今回「山田くん」と同じ手法を使っていても、古典であり、おとぎ話然とした竹取物語を題材にすることで、水彩調、絵本風の絵をそのまま動かすということで、題材と手法がマッチしていて、観客から見てもどうしてこういう絵作りなのか、というのがすんなり理解できる企画になっていたのは非常に良かったと思う。
その上で、誰もが物語の筋を知っている古典を題材にすることで、「平凡」「普通」であってもそれが許容される題材でもある。
古典や誰もが知る名作を題材にする。
これが結局、高畑勲が作品を作る上で最も必要な条件であったわけだ。

遅きに失した感はある
けれど「となりの山田くん」が最後の作品にならなくてよかった、本当によかった
自分が尊敬するみたかった高畑勲をみることができて本当に良かった。

「かぐや姫の物語」という作品は自分にとってそういう作品です。




追記

「風立ちぬ」が「見たくなかった宮崎駿」だったのとは真逆の感想なのは、皮肉というかなんというか・・・







おまけ

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↑この侍女の映画における存在感と役割はすごいよね、映画見ているあいだこの子からずっと目が離せなかった



2013/08/01

風立ちぬ 感想

宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」
見に行ってからそこそこ時間たってしまいましたが、いまさら感想です。

正直あまり書くことがないので書かなくてもいいかなあと思いつつ
長年付き合い、見続けた宮崎駿の作品にだんまりもあれなんで、少しだけ書きます。


さて率直な感想。

退屈だった、自分には合わなかった。はっきりいってつまらなかった。

です。

宮崎駿の作品を見て退屈したのは初めてです。
トイレに行きたくなって我慢できなくて中座してしまったくらい、終盤で飽きていました。

まず基本的に飛行機や兵器の薀蓄的なものにあまり興味が無い、当然堀越二郎に関しても詳しく知らないので、そういった面でまず面白味を見いだせなかった。
実のところ、見る前は、堀越二郎の技術者、ゼロ戦設計に至る開発の苦闘、葛藤みたいな、それこそプロジェクトXみたいな、技術屋の物語を想像していました。あとは雑想ノートみたいな感じのものを想像していて、それはそれで面白いかな?と思っていた。

ところがこれが違った。
蓋を開けてみたらサナトリウム文学で、そっちのが話のメインだった。
まあ、原作がそもそもそうだったことを知らなかったので、勘違いだったわけだけど、兵器絡みに関心がいかないのだから、こっちが良くできていれば、それはそれで、むしろ評価はよかったかもしれない。
ところが、恋愛モノとして見ても、これが全然ダメだった。
まったく感情が揺さぶられない。
主人公であるところの二郎にまったく感情移入できない、理解できない。

これに関しては庵野秀明の素人演技にも問題があるとしか思えない。
感情があまり波立たない、物事に動じないキャラだ、というのはわかる。
だったらなおさらその「波立たない感情」という感情の機微を演じ、表現することのできる技術のある役者に任せるべきだったのではないのか。
菜穂子に相対してしゃべっている時も、他の人としゃべっている時もまったく同じ、なんてありえるワケ無い、あれはただ台本を読んでいるだけというようにしか見えない。
おかげで、恋愛、色恋ものとして見てても、まったく気持ちが乗らない、冷めてしまった。

そんなわけで、まったくこの作品を楽しむことが出来なかった。

ただ、長年宮崎作品を追い続けて、宮崎駿本人のインタビューや対談を読んだりして、その人となりなどを知っている身で見れば、この作品に監督自身が主人公に自分を重ねているんだな、というのはよく分かる。
公開前に宮崎駿が「自分の映画で初めて泣いた」と告白していたが、その言葉の深意が、映画を観終えて理解できた。
過去どの作品でも宮崎駿は、観客、特に子供のためのエンターテイメント、「漫画映画」を作ることを自分に課してきた。
しかし「風立ちぬ」は初めて宮崎駿が自分自身のためだけに作った映画だったのではないだろうか。
エンターテイメントであることも、「漫画映画」であることも捨てて。

だから自分は初めて宮崎駿の作品を「つまらない」と思ったのだろう。


かつて自分は十代の最も多感な時期にほぼリアルタイムでナウシカ、ラピュタ、トトロという傑作を目の当たりにして、宮崎駿のことを神のごとく崇拝していた頃がありました。
そしてその宮崎駿の語るアニメでもアニメーションでもない「漫画映画」というものに感銘を受け、心酔していました。
もののけ姫以降、晩年に向かって宮崎駿の作品は少しづつ変化し、かつて自分が心酔した「漫画映画」を宮崎駿自身が再び作ることはないだろう、と諦めつつも、ポニョにはぞの兆しをまだ見ることができた。
しかし「風立ちぬ」ははっきりと「漫画映画」ではない映画を志向している。
宮崎駿が、漫画映画を捨てること、それは少なくとも自分にとっての宮崎駿の、自分が愛した宮崎駿の終焉を意味している。
もし、この作品がほんとうに最後になったとしても自分は驚かないだろうな、と思います。



追記

これも自分には全く響かなかったことなのだけれど、創作に関わる人達からの評価、共感の感想が多く聞こえてくることも合わせると、この映画が創作を志すものへの宮崎駿の「遺言」でも、あるのかもしれないなあ、などと思ってしまいました。


追記2

友人がtwitterあげた感想とそれに対する私とのやりとり、せっかくなのでトゥギャりました
http://togetter.com/li/544674

2013/06/03

言の葉の庭 感想

新海誠監督の最新作ということで見て参りました。
基本、新海監督の過去作品は概ね見ている上での感想となります。


まず端的に結論から

好き嫌いは別にしてとてもよかった。
作品としてはあまりケチのつけどころが見当たらないくらい、きれいにまとまっていた。
唯一難癖を付けるなら、新海作品として、極まっている分、保守的で冒険がない、といったくらい。

です。

内容的には、完全に恋愛物で、過去作品から引き継いだテーマの繰り返し、語り直しなんだけど、キャラの設定と配置が、年齢差、立場の差のある男女の関係の物語に置き換えられて、余計な要素が削り落とされた分、無理なく、シンプルに、解りやすくなっている。
シナリオ的にも起承転結がはっきりしていて、短編映画として綺麗にまとまっている。
脚本にやや難ありと思っていた過去作と比べても、ここは飛躍的に良くなっているのではないかと思います。
恋愛物としても、社会に出て躓いた大人の女性と、夢を追いかけながらも迷いを持つ高校生の男の子の関係を描いていて、デートムービーとしてもほぼ完璧なんじゃね、という作り。

短歌、足フェチ、靴、雨、都会とその中にある不釣り合いなくらいに緑あふれる公園のあずま屋、例によって叙情的で執拗な情景、風景描写、これらの織り成すエロティシズム、ロマンティシズムにあふれた映像美は、新海誠の真骨頂で、極まっている。
新海作品としてはぐうのねも出ない、出来なのではないかと思います。

だからこそ逆に冒険しているところがない、守りに入った作り、と感じてしまった。
なのでその分あんまりこの映画で語ることがない、と言えばないという。
まあ前作の星を追う子どもがけっこう冒険してたので、今回はまあ安心して新海誠監督のいいとこ全部見れたという意味で、悪くはなかったのかなあ、と。


同時上映の短編もよかったです。
こっちも社会に出て躓いた女性が主人公の話で、本編と合わせて見ててムズムズするモチーフなんですが。


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劇場版聖☆おにいさん 感想

見にいたのがだいぶ前になってしまったのですが、今更感想です。


実は、先にネットで、宗教ネタがカットされてるという話題をまとめサイトで見てしまって、えー、と思って見に行く気力が半減していました。

で、見に行くかちょっと。迷っていたのですが、見に行った友人が話を聞いたら全然そんなことはなかったと、言われ、あれ?となって自分の目で確かめないとわからん!となったため勢いで見たのですよ。

んで、見に行った結果、わかったこと。

宗教ネタカットは、デマでした
少なくとも原作コミック3巻くらいまでに使われてるネタは、大体拾っていた。
ちなみに自分は、原作半分くらいまでしか読んでないので、映画の内容はほぼ自分の知ってる聖おにいさんだったです。

原作が進むと出てくる新キャラや宗教ネタがない、ということがどうやら「宗教ネタカット」として広まったみたいです。



で、見てきた結果、見る前に触れたネガティブな感想や反応に反して、自分の中ではものすごく好評価、周りの評判に惑わされず見に行って良かった、と思いました。

映画の中身自体はもうほとんどイエスとブッダがいちゃいちゃしながら日本の庶民の日常をエンジョイしているのをひたすら丹念に、ほのぼのと描いていくだけなんだけど、その絵作りや演出が非情に映画的に良く出来ていて、自分の好みで、うはうは。
まあこれに関しては、監督がアイドルマスターの高雄統子、チーフ演出・絵コンテとして自分が信奉する神戸守が参加してた時点で、演出面は見る前から安定だなと思ってたのだけれど。

ギャグも滑ることなく、きっちり間で笑わせる事ができていたのも良かった(自分が見た回では観客から終始笑いが起こって、とてもいい雰囲気だった)

といった感じで意外と満足度は高かったです。


2013/05/14

劇場版シュタインズ・ゲート負荷領域のデジャヴ 感想

遅ればせながら地元の映画館でも上映開始したのでいって参りました。


自分もそうだけど、シュタゲの感想は、ネタばれ覚悟の上か、視聴済みで無ければ絶対見ないものものだと判断の上、特にネタばれに関しては気にせず感想書きます

さてでは、簡単に今回の劇場版の印象をまとめると

紅莉栖が主役で紅莉栖が可愛かった、紅莉栖好きにはたまらない映画だった!
でも、全体ではやや物足りない感が残った

といった感じでしょうか

完全新作のストーリーで、けっこう複雑で綺麗に終わっている本編シナリオに矛盾なく繋がるアフターストーリを構築して、本編の物語、キャラを補完、掘り下げをするという、結構な難易度の高いことをやっている割には、これがしっかりとできていてそこには全く不満がない分、その枷からどうしても物語のスケールがこじんまりとまとまってしまって、そこはやや物足りなかった。

岡部が経験した時間漂流を、今度は紅莉栖が体験することになり、改めて岡部の辿った時間漂流の苛烈さ残酷さを見るものに思い起こさせ、紅莉栖が岡部と同じ道を辿るのか否かという緊張感のなかで、紅莉栖の岡部への思い、岡部の紅莉栖への思いがTVシリーズのシーンと重なりあって、記憶を呼び起こさせ、それが、ボディーブローの様に要所要所で効きまくって、涙腺を刺激してくるところは、本当によくできてたと思う。
ただそれだけにというかシュタインズ・ゲートという作品だけにその解決策が、その程度でいいの、と思うくらいやや、あっさりしていたというかひねりが足りなかったのがこの作品に対する、最大の不満点というか物足りなさでは、あるのだけれど、それ以外は概ね満足といったところです。

TVシリーズ、ゲーム本編からの補完として、シュタインズ・ゲート世界線に到達したことで、岡部と紅莉栖の関係は一度完全にリセットされ、紅莉栖の岡部に対する感情もまたリセットされている。その上での、その後の二人の関係はどうなってしまうのか、というのがずっともやもやとして、気になりつつ妄想のタネとしてついてまわっていたのが、今回そこに答えがでたのも良かった。
特に自分としては、紅莉栖と岡部のいちゃいちゃが本編通して好きだったので、その関係を取り戻して、また二人がいちゃいちゃな関係に戻れたのを見れてよかったなあと。

岡部がシュタイインズゲート世界に定着できずにR世界に跳んでしまうのも、ある意味では他の世界線での紅莉栖との記憶に対する岡部の未練が引き起こしたものだったと考えると合点がいくし、そうならないために紅莉栖が強烈な記憶を岡部に埋め込みに行くというのもなるほどと思えて、ここもよく出来ていた。
ただその方法が、どう見ても、ショタオカリンが痴女にいきなりキスされただけ、というのが、なんというか、ね、うん、まあ強烈な記憶だけどさ!w

あと鈴羽の登場が、映画本編の中だけでは、はて?なんでこの子はタイムマシンに乗ってまでこの時代にやってきて、しかもあったこともない、存在もしていない岡部のことを知っているんだろうと疑問が残った。
この点を一緒に見にいいた友人たちと話した結果、きっと紅莉栖が岡部のことを話しつつ、鈴羽に作ったタイムマシンを見せつつ「いい、絶対つかっちゃダメよ、絶対ダメだからね」と繰り返していたんじゃないか、という結論に達した。
タイムマシンを前に、うじうじといなくなったオトコのノロケを聞かされ、こうすれば岡部を取り戻せるという計画まで全て立て、それでも自分は絶対に過去を改変しないからね!と鈴羽に念を押す。
タイムマシンに「OR204」とか未練タラタラでオトコの名前をつけときながら、絶対使うなとか、如何にもやってくれと言わんばかりに、フラグを立ててくる。
「このおばさんいい加減ウザい」と思って鈴羽はタイムマシンで過去に飛んだんじゃないのかと。
そりゃ、鈴羽的には、紅莉栖を一発ひっぱたかないと気がすまなかっただろうな、と。
紅莉栖自身も。鈴羽がタイムマシンで来ることしってて、過去改変をすることを踏ん切れない自分を鈴羽に背中おしてもらいたくてやったことなのだろうなあ、と

この話を先に映画を見た別の友人にも話してみたら、ほぼ同じ結論に達していて笑った。
ほぼこれが正解なんじゃないかと思えるくらい解釈に矛盾がないように思えるんですが、どうでしょう。


さて楽しかったシュタインズ・ゲートもそろそろこれで弾を出し尽くしたかなあ、という感じでしょうか。
まだ、やってやれないこともない気はするけれど、これ以上は蛇足感も否めないので難しいところかなあ。
次の展開は、あるのか、ないのか・・・

とりあえず、まだ新作ゲームはやってないので、それをそのうちやってみたい所です。
あと完全新作ストーリーの小説版↓が、面白いのでこれはオススメです。



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2013/03/26

祝☆魔法少女リリカルなのはTHE MOVIE 3rd Reflection 製作決定!

つい先日行われたリリカルパーティV二日目に参加して参りました!
リリパ自体イベントも超楽しかったのですが、今回はそちらの感想はひとまず置いておいて
ついに発表になった映画第三弾について語っとこうと思います。

リリパ初日に明らかになった映画第三弾の製作決定の速報に続いて二日目発表になった映画のタイトルは


「魔法少女リリカルなのはTHE MOVIE 3rd Reflection」

StSでもなくゲーム版でもなく、全くの完全新作ストーリーであることが明らかに!
ただし、物語がどの時期のものになるか、といったことは今のところ不明とか

ついに待ち望んだ新作ストーリー!!!
いやあ、なんだかんだで長かったわー
漫画でForceやvividがあったとはいえ、完全新作のストーリーでのアニメは実際のことStS以降作ってないわけですからねえ
しかも映画の第三弾、3rdという位置づけ、2ndのエピローグからやはり小学生編から中学生編を期待してしまいます。

個人的には以前も書きましたが、なのはメインのなのはを掘り下げる物語を描いて欲しいという願望が強いです。
今回付いたタイトル「Reflection」の意味を調べてみると、影響、投影といった意味から熟考、内省、意見、考え、といった意味もあるらしい(参照 http://ejje.weblio.jp/content/reflection
願望100%で解釈して想像すると、1stのプレシアテスタロッサ事件、2ndの闇の書事件を通してなのは自身の考えやその後の生き方にどんな影響を与えるに至ったのか、みたいな内容だったら、いいなあ、とか思っています。

とはいえ。現状で公開時期が未定、一週間前に会議で決定したと三嶋Pの発言からして、本当に制作が決まっただけで、おそらく都築さんの中での構想のみで脚本もあがってないのではないかと思われる。内容に関しては本当にまだまだこれからなのかもしれない。
そうなると、過去のペースから言って映画公開は下手をすると3年は先、ということも十分ありうるかもしれない。
そう考えると先の長い話になりそうではあるなあ、と
ともあれ、来年でアニメ化から10周年さらにその先までプロジェクトが続くことが、確定したということでもあるので、喜ばしい限りではあります。

そういえば今回映画第三弾の発表とは別に、ゲーム新作やvivid、Foce関連、あるいはソシャゲ関連で新情報、発表が来るかもと予想していたけど、そんなことはなかったぜ
3rdまでだいぶ間がありそうだから、その間のつなぎになにかありそうな気はするんですけどねえ・・・

2013/01/07

2012年まとめ 其ノ貮 劇場編

ということで2012劇場アニメまとめです。


見たものだけ列挙

ももへの手紙
虹色ほたる
グスコーブドリの伝記
おおかみこどもの雨と雪
エヴァQ
BLOOD-C The Last Dark
ストライクウィッチーズ
プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち
ドラえもん のび太と奇跡の島
魔法少女リリカルなのは2ndA's

今年の劇場作品の多さ、多様さは特筆すべきものがあっと思います。
しかし、年の後半、資金が尽きて。まどかまぎか、タイバニ、009、伏、ねらわれた学園、など関心はあっても観に行く事の出来なかった作品が多々あって悔やまれる。
逆説的に劇場に足を運ぶには、強いモチベーションが必要だなあと改めて実感。
本数が増えればその分、選択の幅も増える分、選ばれない作品も増えるわけで、興行の明暗も大きくなっていくのではないかなあと。

だからこそ、2012年のNo1は、なのは2ndA'sなのです。
劇場で見た回数と泣いた回数なら自分史上最高です。
モチベーションを見に行った回数で換算するなら他の15倍、他の劇場作品を観に行く資金を1作品で食いつぶしましたから!
今年の劇場アニメの現状についてアニメ識者さんたちによる話題の中心は、エヴァQだったりおおかみこどもだったり、あるいはもも、虹色ほたる、まどかマギカだったりするでしょうからそちらに譲るとして、どうせ、なのは2ndA'sなんて歯牙にもかけられてないか、別枠扱いなのでしょう、見てないけど。

現状の深夜系アニメの劇場化の流れをつくったのは2010年のハルヒ、Fate、なのは1stの三作の成功が起因していることは、おそらく間違いない。
特に必ずしも大ヒットしているわけではない、なのはの成功を見れば、「ウチでも儲けられるんじゃね?」と思う所が後から出てくることは無理からぬ事。
スト魔女、まどか☆マギカやタイバニなんかもこの流れがなければ、劇場化はなかったかもしれない。
ただそういった深夜系の劇場化が、なのはほど期待した数字を出せたかどうか、そしてビジネスとして今後続くかどうかは、実際の数値を見ていないので、一概には言えないし、まだ未知数ではあるので、ここでは結論めいたことは一応避けるけれど、その結果の影響は、また何年か後に出てくるのかなと。
ただ、少なくとも決してトップに立つことがないのに、常に数字と結果を出し続けるリリカルなのはというコンテンツの現状、特殊性はもう少し、論じられてもいいのではないのかなあと思う次第です。

2012/11/20

これまでのお話とヱヴァQ感想

ヱヴァQ見てきたので感想。

一応内容に一切触れず、印象のみでの感想です。予断すら持ちたくないという人は避けてください。
あと毒を吐きます。

先に言っておきますが、エヴァに対しては非常に面倒です、エヴァ以前からオタやってた人間なんてそんなもんです。

というわけでQに行く前にエヴァに対する個人的立ち位置を超簡略で

TV阪リアルタイム視聴
初期 → トップ、ナディアの庵野監督の最新作だ、わっほーい、いいよ、いよーサイコー!!
中期 → やべえ俺たちもしかしていまスゲエ作品に立ち会ってんじゃね?
最終回 → あはははははははははははははは、庵野自爆ゲラゲラ

エヴァ論争勃発 → やべえ超楽しい

Air/まごころを君に → あー完膚無きまでにエヴァは終わったな。エヴァいろいろあったけど楽しかったなあ。

序 → は?リメイク?今更もうエヴァとかどうでもいいよ、見に行かない。庵野は早く新作作れ

破 → なんか絶賛がうるさいから見に行ってやんよ!なんだよ、いつの間にか若者向けのリア充が見るアニメになったのかよ!

という感じでTVシリーズ至上主義者なので、
ヱヴァ新劇場版には基本的にとても冷めてます。
とはいえ破は娯楽として面白かったし、いーんじゃないのかなあ。
前向きなシンジ君もあってもいいのかなあ、それで多くの人たちが楽しめるものになっているのなら、と思っておりました。

で、Qなわけですが、その流れでQもまあ、普通に娯楽作品として楽しむかー、前作では成し得なかった幸せなシンジ君とかも悪くないよねーという感じでいました。

結果

Q → なにこれ予想の斜め上過ぎwwあーでもエヴァってこうだよ、これがエヴァだよね、ゲラゲラ←NEW!

ってなったんだけど、でも冷静になってみると、これってつまらない。
だって過程が違うだけで旧版と同じことを繰り返してるだけなんだもん。
ならリメイクしてまで作り直してる意味ってなんだ?

そしてふと気づいてしまった、自分は、旧版と違う結末を新劇場版に求めているのだと。
 その結末が、シンジ君が幸福になることであるかもしれないという可能性に、苛立ちと期待の両方を抱いていたのだと。

シンジ君が幸せになって、エヴァがリア充向けアニメになる事が、期待していた形であり、同時にそれが、自分にとっては最もダメージがでかいことだったんだと、悟って凹んだ。
見るものに、否、オタクにダメージを与えてこそエヴァではなかったか!
俺たちのエヴァが帰ってきたとか喜んでる場合じゃねえよ。

やっぱりこんなエヴァいらねえ!






な、めんどくさいだろ。

2012/09/09

幕張なのは2nd A's絶叫上映レポ&感想

9/7にシネプレックス幕張にて行われた、「『魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 』絶叫上映」に行ってまいりました。
http://www.kadokawa-cineplex.co.jp/makuhari/news/detail.php?id=346

1stのシネ・リーブル梅田にて、有志によるオフ会として発祥した絶叫上映。
1stの時に有志主催によるオフ会のみならず、劇場主催、さらには公式主催と幾度か行われ、当時機会があれば行きたいと思いつつ、タイミングに恵まれず断念していたのですが、今回奇跡的に仕事の休みと開催日の都合がうまくかみ合ったったため、初参加することができました。

絶叫上映に関するレポや感想を目にしながらも、実際に現場でどんな風になっているのか、こればっかりは、体験してみないとわからないので、とにかく一度経験してみたかったので、今回参加できて、本当に良かったです。

そんなわけで、軽く当日のレポ&感想を

大体一時間前くらいに劇場に到着、まばらながら既に絶叫上映会参加と思しき方たちがロビーに。
というか、劇場グッズのTシャツ、トート、ストラップを普通に身につけた人がたくさん、さらに奈々&ゆかりんのライブT着用者も多数でわかり易すぎるww
まあ、自分もそのうちの一人なんですがw
ていうか、後から集結してくる人たち殆どがそんな感じで純度の高さにおののく。

開場してやや時間を押して、席がほぼ埋まってから、劇場スタッフから注意事項のアナウンスがあり、いよいよ上映開始。
予告ののコカ・コーラのCMからノリノリの観客たち
本編がはじまるとさらにヒートアップ!
歓声、登場キャラの名前連呼、技名を一緒に叫んだり、それぞれのキャラの魔法光に合わせてリウムをふったり、挿入歌のシーンでは、ほぼライブのノリ。
なのはとフェイトがいちぃちゃしているシーンになると必ず、「ちゅーしろ」「結婚しろ」とヤジがとび、なのフェイが手をつなぐと温かい拍手が沸き起こるあたりにほっこり、ギガウマからアイスの流れのヴィータと登場から食事シーンでのアリシアの人気がすごかった。
あと何かにつけいじられるザフィーラw
ひたすらおっぱいおっぱい言われるシグナム&リィンアインス、カメラにローアングル要求したりとか、俺と代われ!とか変態多数。
また所々に秀逸なツッコミが入れてくる人たちがいて笑ってしまう。
個人的にボケツッコミでツボだったのは、はやてがトラックにひかれそうになったあとにヴォルケンたちと邂逅するシーンで、はやてが画面のしたにフェードアウトしていくところでの
「はやてちゃん、ボッシュート!」
確かにいわれるとそう見えるww
あと、リニスの「明日は嵐かもしれません」に対して、「それは困る、明日ライブだから!」
翌日すぐそばにある千葉QVCマリンフィールドで行われる水樹奈々ライブがあるという、この日この時でないと成立しない切り返しは見事すぎるww
最後は主題歌のブライトストリームをリウムを振って合唱。
上映終了後、全員で三本締めをして解散へ。最後までどこかのライブのようなノリでした。

自分はライブに行き慣れているおかげで、会場のノリに割とすぐのれてとても楽しめました。
正直なところ、本家の梅田の絶叫オフほどではないのかなあ、自分みたいな初参加組ばかりで、盛り上がんなかったらどうするよ?とか一抹の不安も抱いていたのですが、そんなことはなかった。
むしろ、本家の絶叫オフはこれ以上なのか!?と考えると恐ろしいものがあります。

参加してみての感想ですが、予想以上に楽しかったし面白かった!
既に複数回見にいったいて、実際上映中に心の中で叫んでいることを実際に声に出せるのは予想以上に気持ちいい。
ACSのところでなのはが突貫するところで「いけええええええええええ」と毎回心の中で叫んでいたのを全力で叫べて本当に気持ちよかったw
機会があればまた行きたいですね。

あと一つ驚いたというか、とても感心したのは、上映開始のアナウンスがはじまるまで、みんな、非常にマナーよく、静かに待っており、上映中も注意事項に反したり、迷惑行為をするような人が全くと言っていいほどいなかったこと。
他の上映会でも基本同じなのだろうと思うけど、こういうイベントだからこそマナーを守った上で、盛り上がることが重要で、だからこそ、こうして、絶叫上映会が継続して、開催されているのであって、主催してくださる劇場側にとっても我々にとっても有益で、これはとてもたいせつなことだなあと。

うん、いや今回参加してみて改めて思うけれど、リリカルなのはのファンは本当によく訓練されたいいお客さんたちばかりだなあと感心するとともに、少し誇らしく思いました。

2012/09/06

高町なのはの正義、戦う動機とは

↓こちらの記事、高町なのはの正義、戦う動機についての問題がよくまとめられてて関心

高町なのはの真実 ~The MOVIE 2nd A'sに描かれないもの~ - くろうのだらオタ日記

自分は、なのはの動機が明瞭に描かれないことに、いくばくかの不満と、もどかしさを感じていたのだけれど、あえて描かれない事で、逆に、なのはという存在の「正義」あるいはヒーローとしての「神秘性」を担保しているという視点にはなるほど、と思った。

確かに「高町なのは」というキャラは、捉えづらい。何故そうまでして戦うのか、あんなに絶望的な戦いの中で心が折れないのか、不明瞭であるからこそ、そこに対する興味、関心が尽きないとも言えるし、なのはというキャラをなのはたらしめているとも言えるかもしない。


>なのはとフェイトの動機は、実はかなり明確だ。彼女達は、互いに認め合いたいがために、その存在の意味を、つまり正義を証明する場を強く望んでいた。

これはちょっと、自分が気づかなかった点で、読んでどきっとした。

闇の書事件の戦いにおいて。二人が互いを認め合うこととともに、なのは自身は、自分が手にした魔法、正義を行使する力の存在が、より確かなものであることを証明する場所を欲しいていて、それを得たのであり、フェイトは、フェイトで欠落した自らの存在が、周囲の人たちや、世界に必要とされるものであることを、証明したかったということだろうか。
こう解釈すると、無関係の事件になのはとフェイトが首を突っ込んでいく動機としては、確かにしっくりくる。
言動が子供離れしている二人だけれど、こういう自己顕示欲、純粋さとエゴの紙一重から発する「正義」という意味では、年相応の子供らしさではあるなあ、と。

ちなみになのはの動機に関しては、1stのコミック版で、かなり深いところが描かれてはいるのだけれど、この辺を踏まえて、映画第三弾で、高町なのはの物語をオリジナルエピソードで描いて欲しいなあ、というのが個人的な希望だったりします。


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2012/08/05

リリカルなのは2ndA's感想追記

イロイロ気になったので、なのはA’sのTV版を確認のため10話から13話まで見なおしてみた。

劇場版との違いとして、アクションシーンがパワーアップしているのは当然のことなので、そう驚きはしないのだけれど、ドラマ、ストーリー部分で、交わしている会話の内容や流れはほぼ同じなのに、キャラの情感、解釈の仕方に深みが増していることに驚く。
特に夢の中でのフェイトとアリシアのシーンと、はやてとリィンフォースの別れのシーンは、かなり違うものになっている。

中でも、TV版と劇場版で、多分一番違うのは、「闇の書の意志」としての小林沙苗の演技だろう。
TV版だとキャラ自体の目にハイライトがなく、無感情、無機質な面が強調されていて、小林沙苗の演技も、感情を抑制したものになっている。
これが劇場版だと、「悲しい運命を背負ったもの」としてちゃんと感情のあるキャラとして描写れていて、演技もそれにそっている感じ。
これはTV版だと一緒くただった闇の書の意志と防衛プログラムが、劇場版でナハトヴァールとして最初から分離されているせいでもあるだろう。
それを踏まえてのはやてとリィンフォースの別れのシーンでの小林沙苗の演技が、TV版と比べて、はやてに対する慈愛と温かみに満ちたものに変わっている。

特にはやてとリインフォースの別れのシーンはTV版を見なおしてみて、え?こんなにあっさりしてたっけ?と思うくらい見せ方が違う。
TV初見で見た時ですらめちゃめちゃ泣いたシーンであるはずなのに、それが見劣りしてしまう。
これは、むしろ劇場版が、自分の中で美化された記憶の中での名シーンをそのまま再現してくれていたということなのだろう。
それ故にあまりに自然で、TV版と比較してみるまで、その差、違いを認識することができなかった。
改めて、劇場版2ndA'sのパワーアップリメイクの凄さを実感した次第であります。


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2012/07/27

なのはTheMOVIE 3rdへの期待

初動で前作の二倍の興収、記録的な物販の売上と好調過ぎるスタートを切ったなのは2ndA's
弥が上にも、映画第三弾、3rcへの期待が高まるのはファンとして当然なのではないかと思います。

そんなわけで、ちょっと気が早いかもしれませんが、なのは3rdへの期待することをつらつらと書きつつ「リリカルなのは」という作品について考えてみようかなと思います。

(※一応2ndA’sのネタバレ含みますので注意)

シリーズを全て見ているファンならば2ndA'sのエピローグに驚いたのではないかと思う。
TV版のエピローグでは中学生になっていたなのは達が、2ndA'sでは事件から二年後、まだ小学生、というところで終わるという変更がなされていて、これが意味するところに、ファンなればこそイロイロな想像を巡らし、期待をいだいてしまうのではないだろうか。

少なくとも自分は、「3rdは小学生で新規オリジナルエピソードか!?」と、とっさに思いました。
これはもう完全に自分の願望そのままなのですが、エピローグで小学生時代で止めたことでその可能性は十分考えられるのではないかということです。
と、いっても中学生でおわったTV版が、中学生編をかかずにStSに行ってしまったことを考えると、やや予想を外して中学生編かもしれない。
もちろん3rdがStSのリメイクになるという線もないとはいえないが、尺的な問題で、単純にStSを映画化するというのは、ちょっと考えづらいが、それを期待するファンも少なくないだろう。
どの時系列で何をやるのか、3rdに関しては、現状まったく未知といっていい、そもそもあると決まったわけでもないし。
ただ、個人的な願望を言えば、そろそろリメイクではなく、完全新作の話が見たい、というのが正直なところだ。
そして、できるなら小学生編の新エピソードが見たい。
エピソード的にはリィンフォースⅡの誕生編や、はやて&ヴォルケンズの集団コンビネーションによる戦闘とか、アニメ本編で実はやっっていないことが案外あるので、そういったものも見てみたいし、何より小学生ななのフェイのいちゃいちゃはもっとみたいじゃないですかー

また別の側面から、今回と前作の劇場版二作からどうしても抜け落ちてしまったものとして、やはり「高町なのは」の物語が見たい。
1stがフェイトの物語、2ndがはやてとリィンフォースを中心とした八神家の物語として重点的に描かれた一方で、主人公であるはずの高町なのはの存在が希薄になってしまった感が否めない。
特に2ndA'sでは主人公であるにもかかわらず、ほぼ戦闘要員で、ドラマにほとんど関わっていない。
TV版では、一応なのはが将来に悩みや不安を抱えていて、魔法という力、才能を手に入れることで、自分の道を選ぶようになっていく過程が描かれている。
けれど劇場版では、そこはほぼ省略されてしまっていて、劇場版だけを見ていると「高町なのは」がなぜ戦うのか、なぜ魔法という力を振るうことを厭わないのか、彼女の動機がすっぽり抜け落ちてしまっている。
またTV版A’sでは、なのはが管理局の仕事を続けることで、自分の将来を選択して終わっているのに対し、劇場版ではそのあたりはあいまいにぼかされている。
だからこそ仮に3rdを作るならば、やらなければならないことは、やはり「高町なのは」を中心とした、高町なのはの物語なのではないだろうか。
また、フェイト、はやての両者の家族についてそれぞれ描かれているのに対し、なのはの家族についてはほとんど触れられていない。なのはの物語、戦う動機を描くためには避けて通れないところであると思うし、突っ込んで欲しいところではあるのだけれど、なのはの家族について触れると、とらハに手を突っ込むことになるので、そこは難しいのかもしれない。


どちらにせよ、3rdで「高町なのはの物語」を描いてこそ、劇場版なのは三部作小学生編として完結するのではないか。三部作とか超カッコよくね?
そして次は中学生編、StSと続くわけですよ、もちろんどこかでなのは撃墜のエピソードもやったりして、夢は広がるじゃないですかー

と妄想混じりに3rdに対する期待、見せてほしいものを好き勝手に描いてみましたが、ファンとしてリリカルなのはを長いこと追い続けていることの理由の一つに、作品の持っているポテンシャルに対して、まだ見たいものを全部見せてもらってない、もっと見たいものがあるのに、もっと見せて欲しい、という思い、というか欲望があり、それが未だに満たされていないから、というのがあると思う。個人的な見解ではあるけれど、それがなのはファンの熱意、作品に対する忠誠心の原動力のひとつになっているのかもしれない。

コンテンツとして既にTVシリーズから8年、このペースなら間違い無く10年は続くシリーズとなることは確実。
よくまあほんとに続いたとは思うけれど、正直まだまだ「リリカルなのは」は続いて欲しい、続けて欲しいのだ。

追記。

コンプエースではじまった、ソーシャルゲームの漫画版となる「なのはINNOCENT」読んだ。
本編とは違う、新設定、新世界観の小学生なのはたちの物語ということで、これはこれでありかなーと、けっこう楽しみにしています。
紫天一家や、報われなかったキャラたちが平和に生きて暮らしている世界にちょっとほっこり。



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2012/07/24

おおかみこどもの雨と雪 感想(ネタバレ有り)

見てきました。
この感想は基本、細田守監督作品としてどうか、ということに主軸を置いていることを前提としたものになりますのであしからず。

最初から結論。

やっと、細田守監督のの本気を見れた気がする。
これを本気と言わないのはさすがに失礼だろ。

です。

非常に個人的かつ主観的な見解で申し訳ないのだけれど、デジモンで細田監督の作品にほれて以降作品を追いかけていく中で、正直近作の「時かけ」「サマーウォーズ」の二本に対して、細田監督の本気、全力を感じられず、非常に不満を感じていました。どこが?と問われてもそこは非常に主観的で感覚的なものなので説明はしづらいが、少なくとも「サマーウォーズ」は「ぼくらのウォーゲーム」の劣化リメイクでしかないと思えず、非常に評価が低かった。
それでも二作とも世間での評判は高く、成功もしていたので、細田監督がメジャーになるためにそういう計算の上で作品を組み立てたのかなあ、と納得していました。

その上で、そろそろ細田監督の本気が見たいよねえ、今回は完全新規オリジナルだし期待できるかなあ、という気持ちで臨んだのが「おおかみこども」だったわけですが、その結果が先の結論となります。



以下ネタバレを含みつつの具体的な感想です。

見る前の予告等の印象から、ファミリー向け、子供向けの印象を持っていたのだけれど、これが予想に反してハードというか生々しさのあるものになっていて、そこでひとついい意味で裏切られた。
同様に設定から勝手に現代を舞台にしたおとぎ話かファンタジーっぽいものを想像していたのだけれどこれも違った。
出会いから出産、子育てまで順繰りに時間経過を追っていく形で話が展開で、前半は、狼男のこどもを身ごもったら、どうなるというのをSF的な理詰めで、助産院や児童相談所、病院、公園でのことをどうするか、といったことが生々しく描写される。
きわめつけなのが、セックスシーンと本能のままに狩りをしてしまい事故で死んでしまったお父さんの狼姿の死体が運ばれていくシーン。
描写的にも省略して説明できるものをわざわざ描いて見せているところが多く逃げていない。
これらのちょっと生々しい嫌な描写は、ある意味で「ファミリー向け」であることを拒否してしまう危険性をはらんでいる。
しかし、これらの描写が不要なものなのかというと、そういうわけでなく後半、田舎に移り住み子供が育っていった結果、二人が狼として生きるか人間としていきるかの分かれ目に意味と重さを与えている。

やや重苦しい都会での描写を抜けて、田舎に移り住んでからは、開放感もあり楽しい描写も増えるけれど、田舎暮らしと子育てのの大変さが描かれ、淡々とした時間経過の中で子供の成長が描かれていく。
気の強いお姉ちゃんの雪が、成長して学校に通いだし、クラスの男の子との事件とそれ以降の交流をきっかけに次第に人間であることを選択行くのに対し、おとなしく最初田舎にも馴染めなかった弟の雨が、学校に馴染めず、次第に山へ入るようになり、狼としして生きていくことを選択していくのは、意外さもあり、面白かった。

そして、狼として生きることを選び母親に背を向けて行こうとする雨に対して花が叫ぶ台詞
「まだ何もしてあげられていない!」
人間年齢にして10歳くらい、早すぎる親離れとはいえ、母親としてあれだけ苦労してっ頑張って愛情を注いできたのに、そんなはずないだろ!と心の中で突っ込みで否定しつつこのシーンで涙腺決壊。
それまでが淡々とした描写の積み重ねでドラマ的な山が少なかった分ここでのクライマックスはくるものがあった。」同時に、花の母親としての愛情の重さ、背負ってしまったものの過酷さ、孤独さ、それに比してそれを苦労と思わず泣き言をいわず、ここまで生きてきた花の強さにやられてしまった。

正直この映画は、どういう層にどの様に受け止められるか、想像できない。
未婚、既婚、子育て経験有るなし、年齢、性別で受け止め方は多分多様なものになると思う。
それだけ受けての受け止め方に任された映画になっているのではないかと思う。
自分はいい年して未婚だし、しがないアニオタなので、この映画を見た後に感じるのは、ウチのカーチャンもきっと俺で苦労したんだろうな、ゴメンなぁというやや気まずい気持ちにさせられる程度ではあるのだけれど。

一緒に見に行った友人の評で、散文的でやや退屈だったといった趣旨のことを言われて、自分はそうか?と思いつつ、確かに全体を通してみると長さの割に物語としては起伏のないドラマの薄いものになってはいるので、エンタ性にかけると言われればそうかもしれない。
「時かけ」「サマーウォーズ」がエンタ性やメジャー性にに気を使った作品だったのに比して、今作が、そこで稼いだ観客や評価を一旦捨てにきている。
かと言ってテーマや内容が狭いマニアックなものになっているわけではなく、より一般向けなものになっていて、メジャーに向けた顔と細田監督の本気具合とがいい具合にバランスのとれた作品になっているのではないかと思う。
この作品に関しては、自分の評価よりも細田守監督の真価が今後どう問われていくかの分岐点になりそうで、そういうい意味でどう評価されていくか楽しみでもあります。



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2012/07/23

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 感想(ネタバレあり)

現時点で通算7回見ての感想となります。

今回の劇場版2ndA'sはTVシリーズ二期を元にしたパワーアップリメイクということで、ただでさえ密度の濃いA'sをどう再構成するか、というのがひとつのポイントだったと思うのだけど、これが非常に上手くクリアできていた。

TV版第一話で、名シーンとして人気の高いフェイトの「友だちだ!」のシーンを全く違うものに変更してしまう大胆さで、ここはかなり勇気のいる決断だったのではないかと思う。
またグレアム提督とネコ姉妹のカットは事前にアナウンスされていたので、かわりにその役割を闇の書と因縁のあるリンディ提督が担うことは想定の範囲内だった。
けれど、劇場公開まで完全に秘匿されていた、闇の書の闇、自動防衛プログラムに「ナハトヴァール」という名前と形を与えて、諸悪の根源として明確な存在として登場させたのは、正直驚いた。
この二点の大幅な変更で、ストーリがかなり圧縮されながらも、大筋ではTVと同じ展開になるというアクロバティックなことをやってのけたのにはちょっと感心した。

もちろんTV版から削られた部分や薄くなってしまった部分というのもけっこうある。
個人的に好きなレイジングハートとなのはの熱いやり取りが、ほとんどカットされていた。
また名台詞の「悪魔でいいよ」はセリフは残っていたものの、そこまでのなのはVSヴィータの積み重ねが弱まっていてヴィータの絶望感が足りず、薄味になってしまっている。
他にも変更点、カットされた部分での不満というのはあることにはあるのだけれど、実際にはそれほど気にはなっていない。
というのも、今回の2ndA'sが、はやてとリィンフォースⅠの物語としてTV版より、深く濃密に描かれていて、これはもう完全にはやてとリィンⅠの映画として見るべきもの、と理解できるというか、映画を見ていると完全に気持ちをそっちに持っていかれる仕様になっているといったほうがいいのかもしれない。

そして上映時間150分という長尺ながら、実際にその長さを感じることは殆ど無いし、ダレたり飽きたりすることが殆ど無い。
一日5回連続で見てきた自分が言うんだから間違いない(キリッ
見応えのあるバトルと泣かせるドラマ、キャラたちの熱いセリフの数々が交互にやってきて見ているこっちの感情を休ませることなく、ガンガン揺さぶってくる。
特に後半、ナハトヴァールが起動し侵食されたリィンとの戦闘に突入してからが怒涛過ぎる展開で、本当に「濃い」の一言。
見所が盛り沢山過ぎて書ききれないので以下ちょっと箇条書きで

・なのはフェイトのコンビネーションで戦うも圧倒的な強さで歯が立たない。チェーンバインドで地面にたたきつけられるなのフェイのシーンが迫力あっていい。
・フェイト闇の書に吸収、フェイト闇の書の中の夢でアリシアと出会う。やさしいプレシアに戸惑うフェイト、アリシアとの会話、フェイトの決意とそれを送り出すアリシアの思い、別れの一連のシーンの切なさ。アリシアがやたら可愛くかけていて、水樹奈々の思い入れたっぷりの演技で泣ける泣ける。
・外で単騎でリインと渡り合うなのは、渾身ACS、TV版でも一番好きな戦闘シーンが大迫力で見れて満足。
・ACSを防がれ、いよいよピンチのなのは、チェーンバインドでぐるぐる回されて吊るされ(ここの作画がまたいい!)、さらに上からでっかいドリルが振り下ろされる!これがTVにはないシュチュエーションで、最初見たときは、めちゃくちゃ興奮した、絶望感もすごい!
・そして、そこに闇の書の夢から脱出したフェイト王子が白マントでさっそうと現れて、なのはを救出!かっこいい!燃える!最高のカタルシス!ここもTV版からの変更で、映画冒頭でなのはを救えなかったフェイトが、そのリベンジをするという気持ちよさ!
・そしてナハトヴァールをリィンから切り離すためにN&F中距離殲滅コンビネーション・ブラストカラミティ!なのはとフェイトのコンビネーション魔法として長谷川版コミックにのみ登場していた技がまさかの、ここで!これが見れると思っていなかったので、驚くとともに超絶嬉しくて、テンション上がった、これだ!これが見たかったんだ!!
・リインフォースとはやて、はやての名前を挙げる超絶名シーン、泣ける。
・そしてSnowRain、もう泣く、泣くしかない。
・「行こか、リインフォース」「はい、わが主」
与えられた名前を呼ばれそれに応えるリィン、そのリイの柔らかで幸福そうなほほ笑み、泣ける!
・はやてとリィンフォース、ユニゾン。最初で最後のユニゾン。TV版ではリィンは、いっしょに変身しないしバリアジャケットも姿も初、新規のもので、変身後のキメの一枚絵でリインとはやてが並び立ってるのを見て感慨深くて切なくなる。泣ける。
・さらにここから切り離されたナハトヴァール暴走で、TV版のフルボッコシーン突入。TV版と違って名乗り&必殺技放っておしまいではなく、コンビネーションを駆使したアクションとナハトさんの頑張りですごいことに。お約束の水樹奈々挿入歌がかぶるものの絵の迫力にやや歌が負けてしまった印象。
・アクションのクライマックス終了、そしてはやてとリィンの別れ。
はやての持つ母性がリインや守護騎士達を不幸な宿命から開放させた一方で、ここでのはやては、リィンと別れたくない、いっしょにいたいという子供らしいわがままで「駄々っ子」になっている。
それをやさしく慈愛に満ちた眼差しで諭すリィン。
「わが主」
この言葉にリィンフォースのはやてに対する深く複雑な愛情と思いがにじみ出ている。
はやての思い、リィンの思い、それぞれが相手を思う気持ち、叶わぬ願い、幾つもの複雑な感情が交じり合い溶け合う最高の名シーン、泣いてもいいんだよ?
・そしてエピローグへ

後半の重要なとこだけ抜き出してもこんだけあって、さらにヴォルケンズの各シーン、なのフェイのラブラブシーンとか書きだすとキリがないのでこの辺で。

総じてアクションシーンは1stよりバリエーション豊富でかなり見応えがある(ヴィータのラケーテンとかすごい)
もう一方でアクションにやや隠れがちだけれど、ちょっとした気の利いた芝居作画が随所にあってキャラの感情描写、泣けるドラマをひとつ上に引き上げている点も見逃せない。
1stも同様なんだけど、とにかく映画として劇場で見るに足るクオリティと中身に仕上がっている。
最近深夜系アニメの映画化が、時代の流れとして定着しつつあるけれど、短期決戦的な作りではなく、ここまで贅沢に、じっくり時間をかけて「映画」を作ってるものはそうそうないんじゃないかなあと思います。さすがに二年半かかっただけのことはある。

もうとにかく滿足、不満な点を挙げることもできるけどそんな野暮なことはもうしたくない。
これ以上望んだらバチあたるって、と思う位今回の映画には満足しております。


エピローグ以降に関して、あと3rdに対する期待についてまだ書きたいことがあるのですが、それはまた次にします。

取り敢えずスタッフの皆様ありがとうございます、ご苦労様でした!
末永くこれからもなのはシリーズをよろしくお願いします。
ファンはまだまだついてくで?


関連

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 公式サイト
http://nanoha.com/index.html

BRIGHT STREAM
BRIGHT STREAM水樹奈々

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微笑みのプルマージュ
微笑みのプルマージュ田村ゆかり

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ED&主題歌。映画見て歌詞を噛み締めると、また泣けるんだよな、これが。
つうか発売はよ!

2012/07/21

なのはの興収と物販が・・・

「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A’s」物販の売上が興行収入を上回るwww

魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd As』物販の売上げが興収を上回る模様

いろいろおかしいだろww
つうか初めてめてきいたわ、こんなの

興収が1.5億、更にそれを上回る物販
合わせると前回の最終興行成績を上回る結果
前回の新宿ミラノの初日グッズ売り上げも二倍弱で自身の日本記録更新とか
(正直ミラノは販売方法と列さばきをもっとしっかりすれば、もっといけたんじゃないかとすら思えるくらいだけどね)

にしても、なのは完売恐ろしい。

実際、20日にまた地元の劇場に見に行ってきたのですが、人の入りも良かったし
前回は根こそぎ店頭からなくなっていたグッズもある程度潤沢に置いててあったしで
前回、グッズ販売で甘く見すぎて機会損失していた分を、今回は学習して挽回できた
た、とも言えるのかも。

前回は、リピートポイント・カードすらなくなるくらい酷かったけど、今回はそっちも余裕あるしね。

前回を上回る好調な滑り出しで、最終的な興収がどこまで伸ばせるか、楽しみになって来ました。

2012/07/16

なのは2ndA's初日行ってきた

先日14日、魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's の新宿初日舞台挨拶へいって参りました。

ひとまず本編の感想をネタバレ無しでざっくりと。
ネタバレ感想はあと数回見たら、また書きたいと思います。

一言で言うと「濃い」
150分問という長尺の中にアクションの見せ場も、ドラマで泣かせるポイントも、何箇所も用意されていて、それがどれも濃密に描かれていて、それが交互に連続で押し寄せてくる、一本の映画にここまで詰め込むか、というくらい濃度が高い。
TVシリーズ二期A'sのリメイクということもあり、圧縮がかなりかけられていながら、TVシリーズで起きた事象はそのままで起き方や手順が変わっているので、TV版をよく知っていても、というか知っている方が、「おお、そうきたか」と思う部分もあり、上手くやったなあ、とかなり関心されられた。
それでいてリィンフォース絡みの描写は増えていたり、TVにはなかった新しいバトルの見せ場もありで、見たいものが見れて、大満足。
当初はあのA'sをどうまとめるのか、不安要素も多かったけっれど、TVとは別の形のA'sの物語としての完成度は十分高いのではないかと思う。

あと見所としては、水樹奈々と植田佳奈に泣きの演技ではないかと。

まだいろいろとあるけれど、これ以上は書くとネタバレになるのでまた後日。


さてそれはさておき今回の反省。
物販なるべく早く行って終わらせたい!とは思っていたものの残酷なのは戦争はやはり甘くなかった。
上映開始時間直前まで、列抜けるか否か苦悩の結果、あと少しでレジというポジションで、断腸の思いで物販を優先、結果初回は頭の30分を見れずに途中から見るという事になってしまった。
自分としてもあるまじきことであることは、百も承知での決断だったのだけれど、作品を真摯に作ってくださったスタッフには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
でも、あそこで物販を諦めたら、のろいうさぎは手に入らなかったんだ。仕方なかったんだorz
結局、ちゃんと見れたのは2回目から。
正直ちゃんと見なかったことを激しく後悔することになるのですが・・・あと最低10回は見に行くので許して下さい。

ということで今回の残酷なのは戦争は、完全勝利とは行かなかった。
なんか、毎回なのは戦争は過酷さを増していくんですが、どうなってるんですか。
客の練度の高さに比べて、劇場側が素人レベルで正直困るくらいなんですけど
まあ、それはまた別の話。




魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's Original Soundtrack
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2012/06/16

なぜ独立系アニメ映画は惨敗するのか


・朝日新聞デジタル:とある映画の連敗記録 - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201205270088.html

こちらの記事を読んで、いやそのずっと前から悶々と思っていたことがあったのですが、ようやっと考えがまとまったのでつらつらと書いていきます。


ももへの手紙も虹色ほたるも、両方見に行ったのですが、やはり自分が見に行った時も、観客はわずかで、実際地元の映画館でも、両者とも三週目には午前一回の上映回数に追いやられ、一月と持たずに上映打ち切りとなってしまっていた。

この結果に対して、twitterやブログ感想で、危機感を募らせたり、嘆きが聞こえてきたりといった反応を目にする機会も多かった、
私自身、この結果は、非常に残念なことではあると思うのだけれど、自分としては、過去の経験から見る前に既にある程度予想できていたことなので、少し冷静にというか、ちょっと冷めて受け止めている。

なぜ、見る前から惨敗することが予想できてしまったかというと、2009年公開の「マイマイ新子」が同系統のアニメ映画として同じ経緯で、上映が短命に終わっていたこと、やはり同系統のアニメ映画として、2010年公開の「宇宙ショーへようこそ」も興行的には振るわなかったという現実があったからだ。

実の所、これらの作品に共通する点が多い。
まず、原作付き、オリジナルにかかわらず、TVアニメの映画化やシリーズ物の続編ではない単発の独立したアニメ映画であるということ。(適当な言葉がないのでここでは、これを独立系アニメ映画と称します。オリジナルというと語弊があるので)
もう一点は、小学生の子供が主人公のジュブナイル系の内容で、作品の主要ターゲットが、子供を含めたファミリー層であること。
そして、言う必要もないことだけれどジブリブランドではない、ノーブランドであること。
さらにもう一点付け加えるなら、主要スタッフや作画クオリティ、作品の質にに対するマニアの関心は比較的高いということ。

この条件が揃ったアニメ映画はコケる可能性がとても高い。
では、そういった独立系アニメ映画がなぜコケるのか、なぜ興行的に振るわず惨敗してしまうのか。

それぞれの作品は、公開規模や宣伝量にはかなり差があるにも関わらず、実際の結果には大きな差が見られないことを考えると、宣伝が足りない、認知度が足りないといったことは関係なく、こういった独立系アニメ映画、特ににジャンルがジュブナイル系のものを観に行く観客層はそもそもごく少数で、限られているのではないだろうか。

特にファミリー層をターゲットにしている段階で、ドラえもんやポケモンの様な定番の人気キャラを子供にせがまれて観に行く固定層から、シェアを奪わなければならないという困難な現実がある。
認知度の高い定番キャラを擁した作品に対して、地味なルックス、キャラ性の薄い児童文学然とした内容の作品はそもそもジャンルとして違うので、選択肢として比較されない。
むしろ比較対象となるのは、ジブリ作品になるが、ジブリというブランドの安心感でアニメ映画を見に行く非ファミリー層を含めた観客は、玉とも石ともわからない独立系のアニメ映画を観に行くほど、そもそもアニメ映画に感心を持っているのかというと、甚だ疑問だ。

結論を言ってしまえば、「虹色ほたる」や「ももへの手紙」のような作品を映画館に観に行く観客層というのは、ほとんど存在していない。
そもそも存在していない観客に向けて映画を作っても惨敗するのは、当たり前の結果なのではないか、ということだ。

では、なんでそんな観客が見向きもしない作品を作ってしまうのだろうか?
それは、ジブリの成功に対する、幻想、呪縛そのものなのかもしれない。

ジブリ、特にその存在を世に浸透させた「となりのトトロ」は、独立系であり、ファミリー層をターゲットにした作品であり、公開当時まだブランドも確立していなかった。
「となりのトトロ」も公開当時の興行成績は芳しく無かった、少なくとも同宮崎駿監督作品の「ナウシカ」「ラピュタ」よりも下だった。
そんな「トトロ」だったが後にTV放映、ビデオソフト化され広く知られるようになると、評価と人気が高まり現在のジブリブランドの確立を生む発端となった。

この成功法則にあやかりたい、子供向けでありながらオトナの鑑賞にも耐えうる質の高い作品を作れば、ファミリー層をターゲットにしつつ、ジブリを見ている高年齢の観客層にも関心を持たれるのではないか、たとえ興行成績で苦戦してもいずれ評価してもらえるのではないか、という幻想、呪縛がこういった作品が多く企画され製作される要因なのではないだろうか。

しかし、その幻想、というか期待は、ほぼ無理筋であることが、最近の作品の結果ではっきりとしてしまった。
まだ、再評価、ブランド化という道は残っているが、果たしてそういった長期的戦略目標を持っている作品がこの中にあるかどうかは、疑問だ。


では独立系アニメ映画が全て不振かといえば、例外もある。
それが細田守監督の作品だ。
しかし一点共通しない条件がある。それが、「小学生の子供が主人公のジュブナイル」ではない、ということだ。「時をかける少女」も「サマーウォーズ」も主人公は高校生で、主要ターゲットはファミリー層よりもやや上の中高生以上の一般的な観客層であり、キャラデザに貞本義行を起用することでアニメファンも視野に入っている点も大きな違いだろう。
そして次に公開が控えている「おおかみこどもの雨と雪」は前二作の成功が前提にあり、ブランドが確立しつつあるという強みももっている。
そして今回の「おおかみこども」は、ファミリー層をかなり意識した企画内容として見受けられる。

実はこの流れは宮崎駿監督の初期の流れに非常に似ている。
宮崎駿はナウシカ、ラピュタの頃は、アニメージュをホームグラウンドにしており、当初はアニメファンやマニアから支持される存在だったのが、トトロ、魔女宅で転機を迎え一般層、ファミリー層にも受け入れられる存在になった。
細田監督もデジモン、どれみなどでマニアから注目され、単館系上映だった時かけが口コミで広まり、映画ファンからも関心をもたれ、サマーウォーズで更に広くライトなアニメファン層、中高生にも浸透していった感があり、それを受けてのファミリー層を意識した「おおかみこども」という今回の流れである。
マニア、アニメファンからの支持から、ライト層、ファミリー層への浸透という流れは監督自身のブランド化のひとつの成功法則として見ることができるかもしれない。
が、作品の成功、ブランド化は必ずしもこうすれば上手くいくという成功法則なんてものは、現実には存在しないだろう。

しかし、少なくともノーブランドでジブリを意識したようなファミリー向け作品は、独立系としてやるには、最もハードルの高いジャンルであることはほぼ証明されてしまったといっていい。
「おおかみこども」が成功するか否かはまだ結果待ちだが、仮に「おおかみこども」を「時かけ」や「サマーウォーズ」をへずにいきなり作っていたら、細田監督でも、やはり惨敗するのではないだろうか。
もし、そういった子供向け、ファミリー層向けの作品をやりたければ、まず「ブランド」を確立することだ。
細田守監督は、意識しているかどうかは分からないが、その点で着実に足場を固めてきているといえる。


では、独立系アニメ映画は今後どうあるべきなのだろうか。

アニメ映画を見に劇場に足を運ぶという行為は、想像以上にハードルが高い。
特に作品に対する関心、興味の高さ、モチベーションがなければ、距離のある劇場にいくのは、自分自身も億劫になることがある。
だからこそ、TVシリーズの映画化や、有名原作、ブランドといった担保がアニメ映画を見に劇場に行くためのモチベーションとして大きな役割を果たすことは、間違いないし否定出来ない。
それがない独立系アニメ映画が苦戦するのは当然なのだ。

実際、深夜系のTVアニメの映画化作品の存在は特に最近注目度が高く、公開規模は小さくとも堅実な成績を残しているものが多い。
先日公開されたBLOOD-Cも地元の映画館での様子をみた限り短命打ち切りになるほどの不入りということもなく、それなりの客入りのようだ。
また昨年末公開された「けいおん」の劇場版は異例の大ヒットでロングランにもなった。
特に「けいおん」のヒットは深夜アニメを好んで見るごく狭い観客層だけでは、説明の付かない数字をたたき出していることを見れば、作品自体の浸透度、観客層の幅は、想像以上に広いのではないだろうか。
けいおんを劇場に見に来た層をそのまま、アニメ映画全体の潜在的観客層として捉えることは十分に考えられることではないだろうか。
仮にもし、京アニが、現在のブランドを生かして、TVシリーズの延長ではない独立系のアニメ映画制作に乗り出したとしたら、観客を間違いなく呼べると思う。
アニメ映画のターゲットをファミリー層、一般層という雲をつかむ存在だけに頼らず、確実に数字を出すライト層を含めたアニメファンに絞っていくのもひとつの戦略かもしれない。

独立系アニメ映画が戦っていくために必要な物は、監督でも、スタッフでもいいし、制作スタジオでもいい、観客の関心や興味を抱かせる「ブランド」というモチベーションであり、そのブランドを如何に確立していくか、という戦略ではないだろうか。
なぜ自分がももへの手紙や虹色ほたるといった作品を観に行くのかといえば、こういった作品には、高い技術を持ったスタッフ、アニメーターが多数参加していて、TVシリーズとは違ったものが見る事ができる、という日本の劇場アニメ全体、アニメーター、スタッフに対する信頼とブランドが自分の中に確立されているからだ。
結局は自分も「ブランド」という担保をモチベーションに劇場に足を運んでいるに過ぎない。
自分の様にアニメ映画、劇場アニメ自体にブランドとしての魅力を感じて劇場に足を運ぶ観客なんて、ホントにごくわずかしか存在していないだろう。、
では、自分のように、そういったアニメ映画というジャンル全体をブランドとして魅力を感じる観客が、今の十倍、二十倍存在したとしたらどうだろう。
先の結論で述べたように、そもそも虹色ほたるやももへの手紙のような独立系のアニメ映画を観に行く観客層も、市場も、今現在ほぼ存在していないに、等しい。
ならばそういったアニメ映画を、楽しみに見に来てくれる固定層、支持層を超長期的な視点で、育てていけばよいのだ。
ジブリは本来その役目をになっていてもおかしくない存在だが、ジブリはそのスタジオの性格から、自分たちは「映画」を作っているのであって、ジブリだけが成功していればアニメ業界全体のことは関心がないというスタンスがほの見えているので、全く期待はできないのが口惜しいところだ。

「アニメ映画全体のブランド化」は、ものすごく気の長い話で、超長期的戦略と業界全体の団結、協力がなければ不可能だろう。
自分で言っていてもかなりの思いつきの夢想でしかないよなあと、おもいつつもそれが実現すれば、もう二度と広い劇場で、観客数人でアニメ映画を見るなんて寂しい思いをせずにすむのに、と思わずにはいられない。