2014/04/11

【雑感】アニメ視聴体力の衰えについて

アニメを見る上で必要なものとして「視聴体力」というものがある。
そしてそれは歳をとるとともに衰えていく。

と、以前から感じていて、同様のことを考えているている人をちらほら見かけるのだけれど
いままで、それを漠然としたものとし、そのアニメ視聴体力の衰えをここ最近また強く感じ始めたので、ちょっと改めて深く考えてみたいと思います。

現在40歳、視聴体力が落ちてきたなあと感じたのは30半ばくらいから
歳をとるとともに単純に多すぎる新作アニメを見るのがつらくなり、徐々に本数が減っていく傾向にあったためにそういう風に思っていたのがきっかけではあるのだけれど、ここ最近は毎期ごとの新作アニメの録画の再生ボタンを押す手が重い、というところまできてしまった。

新作アニメを見よう、見たいというモチベーションはあっても、なんとなく体が拒否している感じ。
これはなんなのか。
疲れているとき、特に集中力がなくなっている時にアニメを見ようと思っても中々気が進まない。
それが新作アニメとなると、新しいキャラクター、新しい設定、世界観をいちから理解し覚えなければならないため既存のシリーズ作品や継続作品を見るよりも、余計に集中力を使い脳みそをフル回転する必要がある。これが結構疲れる。
そのために新作アニメを見たあとの疲労感を想像して見るのを躊躇してしまう。
これは、二十代のころはほとんど感じる事のなかった事象で、本当の意味で肉体的な衰えが、集中力の衰えに直結していて、集中力がいかにアニメを見る上で必要であるかを実感するようになった。
これが自分がそう呼んでいる、いわゆるアニメ視聴体力というものだ。

いってしまえば単に集中力の問題ではあるのだけれど、この視聴体力が衰えるといろいろアニメを見る選択、好みにも影響がでてくる。

たとえば学園ラブコメものとSFロボットアニメ
どちらが視聴体力を必要とするかといえば後者だ、学園ラブコメは舞台装置は大体同じで物語もパターン化されているのでさほど理解力を必要としない、キャラの相関関係さえわかれば事足りるので、視聴体力をあまり必要としない
しかし、SFロボットものや異世界ファンタジーものは、世界観、設定が理解できないとまず作品世界になじめない、物語の進行も連続性が高く、謎や伏線を抑えて理解していかなければならないために集中力、記憶力を要求され、視聴体力をかなり必要とされる。

また作画や背景の緻密な作品、というのも画面から得られる情報量が過剰なため、やはり集中力を必要としてしまうため見ていて疲労する。
これはもともと情報量の多いSF系の作品だけに限ったこととは言えず、昨今のクオリティの上昇で一部の日常系作品も作画が緻密になり情報量が上がっている。
そういう意味ではPAワークスや京都アニメーションあたりの作品は、かなり見るのに体力を要すると感じてしまうことがある。

加えていうなら、好みや興味に左右される部分もあり、自分の関心の低いジャンルや苦手意識のあるものはやはりつらくなるり視聴体力を大きく奪われる。


一方で、好みのジャンルであるとか、そもそも情報量が少ない作品というのとは別に、視聴体力を気にせず見られる作品というものもある。
作品のジャンルにあった適度な作画の情報量、見る側に設定を理解しやすく提示するために整理されたシナリオ、そして何より視聴者を飽きさせない巧みなコンテ演出、これらのそろった作品ならば、視聴体力を意識せずに見ることができ、次回も見ようという気にもさせてくれる。
逆に情報量過多でコンテの不味い作品は見終わった後の疲労感が半端なく次回を見ようという気力が減退してしまう。
ちょうど整地されたまっすぐな道とまがりくねった未整備の悪路、歩いてどちらが体力を使わずに済むかといったところだろうか。
楽しい、面白い、はやく続きが見たい!と思えれば、あとは視聴体力なんてものは気にすることなくみられるのだけれど、一話で乗り切れなかった作品を継続して見るのはどうしても視聴体力を必要としてしまうのだ。

もちろんこの視聴体力を使わずに見る方法というものもある。
それは集中せずに適当にみればいい。
ネットしながら、実況しながら、スマホいじりながら、流し見する。
たださすがにこれを新作の1話でやる気はしないし、スロースタートでじっくりと見せていくタイプの作品というのもあるので、これはちゃんと見たほうが楽しめるだろうなあと思う作品では、流し見はあまりしたくない。
結果、好みのジャンルのものでも体力を必要としそうな作品は、後回しになり溜め込んでしまうという悪循環を生んでしまう。


そんな感じで年々、シリーズ通して全話見る作品というは減少傾向です。
全部見れるに越したことはないのかもしれないけれど、時間、体力、気力を削ってまで見てもそれはやはりつらいだけで、何でアニメ見ているのかわからなくなるし、一方で作品を見る目、審美眼は多くの視聴経験の積み上げで、自分にあった作品の取捨選択、その判断にはある程度自信もあるので、最近は見続けることのできなかった作品は、それはそれ、と達観しつつあったりします。

体力の衰えを感じつつも、それでも毎期がんばって新作を一通り見ようと努めているわけです。
まあ、なんでそこまでして新作にこだわんのと、話題になった作品とか売れてる作品だけ見とけばいいじゃんと思う向きもあるのかなと思うのですが、習い性というかなんというか。
他人の評価によるおススメや話題性だけでは、自分の本当の好みの作品にめぐり合えない、自分の目で見てみないと、結局は判断できない、そして何より自分で見出した、価値を認めた作品のほうがより思い入れが強くなる、ということを経験上わかってしまっているがゆえに、新作アニメのチェックはやめるわけにはいかないのです。

7 件のコメント:

  1. もっと年なのでw同じことは感じます。

    私の場合新作を視聴するのに抵抗があるのは、「観てしまったら、6時間使う」ということ。まあ途中でやめてもいいんですが、後半から良くなるパターンもあるので…

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  2. 42歳ですが完全に同意です。
    ジョジョ3部みたいな相関関係が完璧に頭に入っているものは楽に見れる。
    シュタインズゲートのようにゲームからハマるのは比較的入りやすい(止め時が自在、周囲のペースに合わせる必要がないから?)のですが昔のつもりで検証サイトなどで活発に動こうとすると体がついてこないなどの現象に・・・
    これも運動などに似ている気がしますねー

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  3. 楽だから見るってのも変なもんすね。
    同世代ですが、期首に見るものを選定して10本くらいに絞り
    あとはダラダラ見てても何とか。
    期首で5本とか3本に絞るギャンブルも可能です。
    ロボ好きなのでルートがわかってしまう
    ハーレム学園ものとか日常は切ってしまうことが多いかも。

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  4. 今年40ですが、凄い同意ですね。それに不遜な物言いが許されるなら、過去の膨大な経験から、何となくその作品の偏差値がだいたい読めてしまうので、「シリーズ通じて視聴して、せいぜしこのアタリの満足度かな・・・」みたいに早々と判断しちゃうんですよね。そういう点では一発勝負の劇場版の方がまだ楽に見れますね。TVより劇場版の方が敷居が低いというのも変な話ですが。

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  5. 現在25ですが個人的には視聴体力の絶頂は10代で、20を過ぎた頃から加速度的にスタミナが落ちてきているのを感じます。
    秋水さんが30半ばでようやく体力が落ち始めた…と仰っているのを伺いますと、年齢以上に個人差が大きいのかもしれないと感じますね。

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  6. 少し上の同世代ですが、全くの同意見です…というより、自分が「アニメ好き」とは言えないのだな、と感じることも最近は多くなりました(笑)。特別にアンテナを張らなくなって久しいものの、不思議と気に入るものは例え放送が終了した後でも出逢えたりしているので、リアルタイムに気張って観なくなりました。周囲の話に乗れない反面、余計な雑音も気にせずに楽しめるのは今の自分のスタイルとして合っているな、と感じています。「頑張って観る」よりも「楽しんで観られる」が、今の自分が辿り着いたところです。

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  7. 以前聖地巡礼で訪れた「楓荘への階段」の場所を確認する為に、久しぶりにお邪魔しました。
    私自身も昭和40年代半ばの生まれなのですが、確かに集中して見られる本数は減りましたし、また、自身の「アニメ力の衰え」もさることながら、「ああ、もう自分はこのアニメの視聴対象から外れているんだろうなぁ…」と思う事も多くなったように感じます。表現は悪いかも知れませんが「ジャンクフードが口に合わなくなった」といいますか。
    それでも年に1~2本、「これは!?」と思える作品に出合え、いい気分で最終回を迎えられると、やっぱりいくつになってもオタク稼業は止められないなぁ…とも思うのです。

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