2013/08/03

シンフォギアG 衝撃の第5話 感想

シンフォギアG 5話がすごかった

最近TVアニメの感想は全話見た後に語りたいものだけ書く、って感じになってるのですが、これはこのタイミングで書かなければ意味が無いので書きます。
というか、TVアニメ見てて、こんなに書きたくなった、書かずにおれなくなったのはのは久しぶりデス!



当然ネタばれアリですんでよろしく。


というわけでシンフォギアG5話のラスト、
なんと主人公の響の腕が敵の化け物に喰いちぎられるという衝撃の展開が!!!!
思わず、あああああああああと叫んでしまうぐらいの衝撃度
ほんとうにやってくれた、シンフォギア侮りがたし!

二期が始まって4話まで、新しい敵として、シンフォギア装者のマリアたちが登場しながらも、物語の進行としては、ややゆったり目
むしろクリスちゃんにフォーカスを当てて、一期で拾いきれなかった、クリスちゃんのドラマ的な補完話をメインにしていた。
変身シーンの「ばあぁん!」や学園生活でのクリスちゃん、4話EDで楽しそうに歌うクリスちゃん、と
クリスチャンが可愛くて可愛くて、シンフォギアが萌えに走ったか?と思えるくらいあざといクリスチャンをみせてくれたかとおもったら、これですよ!

響が片腕を失うという展開が意味するところを、一期から見ているものならばその重大性に誰しもが気付くのではないかと思います。
誰かと手をつなぐ、それが響のアームドギアであり力の源、それが失われたということの意味は重い。
二期のOPでも繰り返し、手をつなごうとしてそれが叶わないという絵が繰り返されていた意図が、ここに来てわかり、ボディーブロウのように効いてくる。
響に課せられた運命、試練の苛烈さ・・・

しかし同時に、この展開にワクワクが抑えきれない!

「隻腕」

この単語だけでもう燃えてしまうじゃないですかー

ヒーローが片腕を失い、失意の中からその試練を乗り越え、新たな力を得て復活する!
この王道展開が、まさに始まろうとしているわけですよ!!
これで燃えないワケがない!!!

しかもこれヒロインなんですよ?隻腕でマフラーつけて歌って戦うヒロイン!!!盛りすぎだろww

また今回5話では、1話で華々しく登場し響達の前に立ちふさがったマリアも決して非道な存在ではなく、運命を背負い自らに課した戦う目的を持ちながらも、覚悟を決めきれず、迷いもある存在であることが明らかになり、響達との対立の行く末が、どういった結末を迎えるのかと、こちらもその展開に興味をかきたたさせる。

とにかくこの5話は、それまでの流れからの急転直下のラストと置いてきた布石によって、強く印象づけ、次回以降の展開を否が応にも予想し期待させ、目を離せなくさせる作りになっている。

楽しい、樂しすぎる!

やっぱシンフォギア最高ですわ!




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2013/08/01

風立ちぬ 感想

宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」
見に行ってからそこそこ時間たってしまいましたが、いまさら感想です。

正直あまり書くことがないので書かなくてもいいかなあと思いつつ
長年付き合い、見続けた宮崎駿の作品にだんまりもあれなんで、少しだけ書きます。


さて率直な感想。

退屈だった、自分には合わなかった。はっきりいってつまらなかった。

です。

宮崎駿の作品を見て退屈したのは初めてです。
トイレに行きたくなって我慢できなくて中座してしまったくらい、終盤で飽きていました。

まず基本的に飛行機や兵器の薀蓄的なものにあまり興味が無い、当然堀越二郎に関しても詳しく知らないので、そういった面でまず面白味を見いだせなかった。
実のところ、見る前は、堀越二郎の技術者、ゼロ戦設計に至る開発の苦闘、葛藤みたいな、それこそプロジェクトXみたいな、技術屋の物語を想像していました。あとは雑想ノートみたいな感じのものを想像していて、それはそれで面白いかな?と思っていた。

ところがこれが違った。
蓋を開けてみたらサナトリウム文学で、そっちのが話のメインだった。
まあ、原作がそもそもそうだったことを知らなかったので、勘違いだったわけだけど、兵器絡みに関心がいかないのだから、こっちが良くできていれば、それはそれで、むしろ評価はよかったかもしれない。
ところが、恋愛モノとして見ても、これが全然ダメだった。
まったく感情が揺さぶられない。
主人公であるところの二郎にまったく感情移入できない、理解できない。

これに関しては庵野秀明の素人演技にも問題があるとしか思えない。
感情があまり波立たない、物事に動じないキャラだ、というのはわかる。
だったらなおさらその「波立たない感情」という感情の機微を演じ、表現することのできる技術のある役者に任せるべきだったのではないのか。
菜穂子に相対してしゃべっている時も、他の人としゃべっている時もまったく同じ、なんてありえるワケ無い、あれはただ台本を読んでいるだけというようにしか見えない。
おかげで、恋愛、色恋ものとして見てても、まったく気持ちが乗らない、冷めてしまった。

そんなわけで、まったくこの作品を楽しむことが出来なかった。

ただ、長年宮崎作品を追い続けて、宮崎駿本人のインタビューや対談を読んだりして、その人となりなどを知っている身で見れば、この作品に監督自身が主人公に自分を重ねているんだな、というのはよく分かる。
公開前に宮崎駿が「自分の映画で初めて泣いた」と告白していたが、その言葉の深意が、映画を観終えて理解できた。
過去どの作品でも宮崎駿は、観客、特に子供のためのエンターテイメント、「漫画映画」を作ることを自分に課してきた。
しかし「風立ちぬ」は初めて宮崎駿が自分自身のためだけに作った映画だったのではないだろうか。
エンターテイメントであることも、「漫画映画」であることも捨てて。

だから自分は初めて宮崎駿の作品を「つまらない」と思ったのだろう。


かつて自分は十代の最も多感な時期にほぼリアルタイムでナウシカ、ラピュタ、トトロという傑作を目の当たりにして、宮崎駿のことを神のごとく崇拝していた頃がありました。
そしてその宮崎駿の語るアニメでもアニメーションでもない「漫画映画」というものに感銘を受け、心酔していました。
もののけ姫以降、晩年に向かって宮崎駿の作品は少しづつ変化し、かつて自分が心酔した「漫画映画」を宮崎駿自身が再び作ることはないだろう、と諦めつつも、ポニョにはぞの兆しをまだ見ることができた。
しかし「風立ちぬ」ははっきりと「漫画映画」ではない映画を志向している。
宮崎駿が、漫画映画を捨てること、それは少なくとも自分にとっての宮崎駿の、自分が愛した宮崎駿の終焉を意味している。
もし、この作品がほんとうに最後になったとしても自分は驚かないだろうな、と思います。



追記

これも自分には全く響かなかったことなのだけれど、創作に関わる人達からの評価、共感の感想が多く聞こえてくることも合わせると、この映画が創作を志すものへの宮崎駿の「遺言」でも、あるのかもしれないなあ、などと思ってしまいました。


追記2

友人がtwitterあげた感想とそれに対する私とのやりとり、せっかくなのでトゥギャりました
http://togetter.com/li/544674